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世界はここにある⑩  三佳篇㈢

 スランデント森林公園は街から車で30分ほどの距離だ。ガイド誌によると世界自然遺産にも登録されたそこはオークやブナなど落葉樹系の自然形態が残るヨーロッパでも有数の公園だという。

 バロック調の建物が並ぶ中、アールヌーボーの外観が目を引く有名な建築家が建てたという幾つかの邸宅、小さな運河に沿った石畳の街並みから抜けると、ぼんやりと覗く車窓に緑が鮮やかになってきた田園風景が続く。最先端の技術がもたらすものは、いかようにも未来をデザインできるのかもしれないが、この風景は真似できるものではないと三佳は思っていた。カーラジオなのか聞き覚えのあるジャズのギターの曲が小さく流れている。

「ねぇ、彼とは会ってないの?」
三佳は満腹の心地よさからなのか、居眠りを始めそうなサツキに唐突に話しかける。

「うーん? 何ですか?」
「彼よ、高山先生の息子さん、まだ独身なんでしょ?」
「ああ、英人ひでと君ですか…会ってないですね。もう10年くらいたつかな。結婚したとかは聞いてないです」
「好きだったんでしょ?」
「うーん、どうかなー」
「なぜ続かなかったの?」
「うーん、そもそも付き合って…… まではないし、大学が私は東京、彼はお父さんが帝都大に移られて…… 東京に引っ越してはきたんだけど、彼だけ大学は京都でそのまま一人暮らし…… だったからかな…… 何回かは会おうとしたんだけどなんとなく…… うーん」

 三佳はサツキがいつもの軽口な雰囲気でなく、同じく車窓からの景色を眺めながらぽつぽつと答えたことで、彼女の当時の気持ちがわかったような気がした。

「三佳先輩は好きな人いる?」
サツキは外を見つめたまま聞く。三佳も反対側の窓から外を眺めたまま答えた。
「昔はいたけどね」
「なんでうまくいかなかったんですか」
「なんでだろうね…… あんたと一緒かもね」
「ふーん…… 」

「ひでとくんね…… 彼、凄く優秀な子だったんですよ」
「そうなの?そうか高山先生の息子さんだもんね。そりゃ遺伝子は一流だよね。私が言うのもなんだけど」

「周りからも期待されてたし、成績は勿論トップ。サッカーはイマイチだったけど、みんな彼はお父さんの背中追いかけてそういう道に行くもんだとばかり思ってた…… 大学だって帝都大間違いなく受かるはずなのに、わざわざ京都で。それも文系で…… なんで?て思ってた。東京で…… またと思ってたかなあ…… 」

サツキは眠気を払うように腕を伸ばした。視線は立ち並ぶヨーロッパブナが両方に続く道をぼんやりと見つめたまま。

「彼は高山先生とうまくいってなかったの?」
「どうでしょ?そこまではわかりません。お母さんの話では研究にのめり込むお父さんに否定的だったようなことを聞いたことがあったかな…… でも本当のところはわからないです」
「彼は今、どうしてるか知ってるの?」
「今は大手の商社マンで仕事は東京だけど横浜近くで住んでるって友達から聞きました」
「なら、会えるじゃん、いつでも」
「うーん…… 」

 サツキも自分の道を探すのにそれなりの苦労はしたはずだ。が、今はようやく仕事も順調にそして結果も出始めている。プライベートなことではあるが彼女なりに気持ちに向き合う事は必要なことだと三佳は思う。

「今回のこともあるし、いい機会じゃない?連絡とってみたら?」
「うーん、そうですね…… 日本に帰ってから考えます」
「なによ、勇気ないの?」
「ない」
三佳はサツキが即答したのに少し笑った。
「あんたは結構イケてるよ。恰好はダサいけど」
「はは、そこ、突っ込みますか」
「ひでとくんは、イケてる?」
「イケてる?なんですか?もう、おばさんの言いかたですよ先輩!」

 サツキは車に乗ってから初めて三佳を見て笑った。いつもの愛らしい表情だが少し眼が潤んでいるように見えた。
「なんだ~?おまえ、泣いてるの?」
三佳は肩口を軽く小突き、嫌がるサツキを覗き込もうとする。

「先輩、キライ!!」
サツキはまた外を眺めだした。口を少し尖らせて。

「お客さん、楽しそうな話をしてるのかもわからんが、もうすぐ着くよ」

運転手の大柄の男がドイツ語で言った。たぶんそのようなことを言ったのだと三佳は思った。

 タクシーが横付けされた公園の入り口は、特に門扉が設けられているわけではなく、木製の案内看板と案内所のような建物があるだけだ。しかしシュナイター皇太子が来ているとあって、警察車両が数台と明らかに軍隊とわかる一行が検問をしている。

 三佳とサツキがタクシーに料金とチップを払い車を降りるとすぐにスーツ姿の男と女性警官らしき人物が二人に近づき、英語で話しかけてきた。

「失礼ですが立花三佳さんですか?」
「そうです」
「パスポートを拝見します、取材IDはお持ちで?」
「はい」
 
 この人はエージェントではない。三佳はエージェントとは面識があった。体格は良く上質なスーツを着てはいるが役人タイプとは思えない。パスポートの写真と三佳の顔を見比べる鋭い視線は、空港警察のそれよりも厳しさがうかがえた。

「そちらの方は?」
「同じチームの堂山サツキです」
「Please」
サツキもパスポートとIDを渡す。その間、女性警官は三佳を丹念にボディチェックをし所持品を確かめた。

「私は皇太子のSPチームのウォルフ・ヘンドリッヒです。ようこそミス・タチバナ、ミス・ドウヤマ」



『三佳』篇㈣へ続く

★この作品はフィクションであり登場する人物、団体、国家は実在のものと  一切関係がありません。

エンディング曲
Django Reinhardt - Minor Swing
Django Reinhardt official


世界はここにある①
世界はここにある②
世界はここにある③
世界はここにある④
世界はここにある⑤
世界はここにある⑥
世界はここにある⑦ 
世界はここにある⑧
世界はここにある➈


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