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#嫌いな人から学んだこと(研究中)

ドキッとする企画に参加してみようと思います。

まずは私の嫌いな人ってどんな人だろう? 
そう考えたときに、
果たして私はその人から学んだことはあっただろうか? 
単に自分とは性格や考え方が違うというだけで嫌い認定をしていただけではないか?
そんな思いが湧いてきました。

人のふり見て我が振り直せとはよく言います。
極端ではありますが「人のふり見て我がふり直そう」と思った〝その人〟を嫌いな人と仮定した場合、何かしらの学びがあって我がふり直そうと思っているのではないか?
今回はここに着目して考えてみました。

私が「人のふり見て我がふり直そう」と思う人の行動として、一番最初に思い浮かんだ人。
それは、嘘をつく人でした。
もちろん、私も嘘をついた経験はあります。
それを踏まえた上で、嘘をつく人を観察してみると、「自分がとった行動への後ろめたさや自分の悪事を隠すため、責任逃れの嘘をつく人」の言動は客観的に見て嫌悪感があり、こんな風に見られたくないと強く思うようになりました。

この辺りまで考察していくと、私の中で矛盾点が出てきてしまい、ちょっと分からなくなってきました。
「人のためを思ってつく嘘」も、現実にはたくさんあるように思えてきたからです。

もし、人のためを思っての嘘を良しとするならば、誰かが「わたしのためを思ってついてくれた嘘」に私が気づいたとき「わたしのためにありがとう」と思えるだろうか? 「それでも本当のことを話して欲しかった」と思うだろうか? そして、その人のことが嫌いだろうか? そんな疑問が湧いてきました。

嘘をつく人から逸れてしまいますが、「あなたのため」って結構重たくて、これも私は苦手です。状況によるとは思いますが「大きなお世話」という例ですよね。嫌い寄りの苦手です。
だから素直に「ありがとう」が言えないのかな……。
「あなたのために本当のことを言うね」がきたらどうする⁉︎
「私のためを思うなら……嘘ついて欲しかった」ってなるかもしれない。
あらあら、大混乱です。

でも、本当に私のためになることもある。
だから完全に拒否したいわけではない。
私も誰かに余計な「あなたのために」をやってしまっていると思うし。


ごめんなさい、今回は思うようにまとまらなかったです。
埒があかなくなってきましたので、過程の段階で一旦離脱します。
参加される皆様の見解を参考に、引き続き研究していきたいテーマです。(1007文字)


#嫌いな人から学んだこと
#山根あきらさん


ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!