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妊娠日記78 コロナ感染とご先祖さま

「妊娠日記」1~75は昨年妊娠中につけていた日記です。76~からは産後のいま、当時を振り返って綴ってゆきます。

前回の妊娠日記シリーズに妊娠後期で逆子になった話を書いたけれど、今日は妊娠中のちょっとしたエピソードをもう一つ。コロナ感染事件について書きたいと思う。

妊娠8ヶ月に入ってから、私は動けるうちに1人で福島の和子ちゃん(祖母)の家に行くことにした。

産後に赤ちゃんを連れて京都から東北までの大移動は大変だろうし、産む前に行っておきたいと思ったのだ。

大のおばあちゃん子で、幼いころから夏休みには毎年必ず福島に足を運んできた私。

和子ちゃんは当時89、次の誕生日で90歳になるというところだった。
考えたくないけれど、もう何回会えるかわからないのだから、今のうちに。

だけどこの福島行きの日程が、私には当初渋々のスケジュールだった。

すでに決まっていた彼の東京出張にあわせて私も福島に移動し、お互い同じようなタイミングで京都に帰って来られればちょうどいい。
だけどもう決まっていた用事の都合で、私が福島に向けて出発するのは彼が東京から京都に帰ってくる前日となった。

すれ違いなのが残念なタイミングだなあと思ったけれど、東北までの長距離移動を考えると、これ以上お腹が大きくなる前の方がいいかなと思い、結局この日程で行くことにした。

そしてこのすれ違いスケジュールが功を奏した。

というのも、出張先でコロナに感染して帰宅後に発症した彼と会わずに済んだからだ。

妊娠中にコロナにかかると厄介だっただろう。
予定日近くに感染してしまうと、感染拡大を防ぐため問答無用で帝王切開での出産になるとも聞く。

誰にも看病されず一人で高熱に苦しんだ彼は気の毒だったけど、「福島に来ていてよかった、ありがとうございます……!」となにかの計らいに心の底から感謝した。

彼とすれ違いのタイミングで家を出て福島に来ることにしたのは妊娠後期の身にとって幸運以外の何ものでもなく、私もお腹の子も何かに守られているんだと感じさせられた。
もっと言えば「ご先祖様が守ってくれたんだ」としみじみ感じた。

福島に行ったのは和子ちゃんに会いたかったのはもちろんのこと、どこかで「ご先祖様にもお腹の赤ちゃんと挨拶しておきたい」という思いもあったから、なおのこと。

すこし祖母の話をすると。

和子ちゃんは30代で夫(私の祖父)を亡くし、女手ひとつで私の母たち3人の子どもを育てあげた。
それだけでなく自分の母親(私の曽祖母)と妹(私の大伯母)の面倒もきっちり見てきた、身内ながら気丈であっぱれな人だと思う。

戦争を経験している世代でもあり苦労は絶えなかったはずなのに、それを感じさせないほど人生を楽しそうに謳歌する生きざまは、幼い頃から私の憧れだった。

90近くなっても衰えない冒険心で年に数度の海外旅行を欠かさず、少食なわりに食い意地が張っていて美味しいものが好き。
好奇心旺盛でいつでも本を読むのに忙しく、「施設に入らず悠々自適な一人暮らしを続けたい」一心でジムに通ってパーソナルトレーニングにも励んでいる。

私から電話をすると「要件はそれだけ?じゃ、忙しいから切るよ!」と颯爽と会話を切り上げるのはいつだって祖母のほう。
「孫と祖母のせりふ、普通は逆では…?」という応対をされるのもいつものことで、でもそれが孫としては頼もしかったりもする。

老人なのにしみったれたところがなく愉快な祖母のことが、私は両親より誰より好きだった。

さて、そんな和子ちゃんの口癖は「安吉さんが守ってくれた」「安吉さんに感謝しなくっちゃ!」だ。

安吉さんとは、もう半世紀以上前に亡くなった私の祖父のこと。
もちろん私は会ったことがなく、知っているのは写真の中の面影だけ。

和子ちゃんは自分と子ども三人を残して早々に天国へ旅立ってしまった安吉さんをまるで自分の守り神のように、支えとして、この50年以上を生きてきた。

子どもらに加え母親と姉の面倒を見てきた和子ちゃんの半世紀、確かに何らかの加護がなければ乗り切れなかった局面もきっとたくさんあるはず。
90近い老婆が無事に一人暮らしを貫くことができているのも、やっぱり安吉さんが天国から援護してくれているのだと私も思う。

30代の若さで、三人の幼子を和子ちゃん一人の細い肩に託してしまったことの償いとして。

そんな和子ちゃんの家には安吉さんをはじめ、ご先祖様たちが一緒に仲良く供養されている。

庭に咲いたお花を切っては活け、くだものを買ってきたり誰かからお菓子をいただいたりすればまず仏壇にそなえ、炊き上がったお米やできたてのおかずも、自分が食べる前に必ず仏さまに供える。

そんな習慣が根付いた和子ちゃんの暮らしだから、私も福島に行った際にはご先祖様の存在を大いに感じながら暮らすことになる。
毎日お線香をあげたり朝夕手を合わせたり、お墓参りに行ったり。

和子ちゃんやその子どもたち、そして孫の私たちがここまで無事に生きてくることができたのも、和子ちゃんがご先祖様を大事にしているおかげなのだろうと、和子ちゃんの暮らしぶりを見ていると自然に思えるのだ。

そして普段は特にいちいち「ご先祖様のおかげ」なんて殊勝なことを思わない私だけど、今回は出産前にご先祖様に手を合わせに行こうと思った次第だった。

皆さんが脈々と繋いできてくれたバトンを受け継ぐ新しい命が、私の中にいるんです、と。

そうしたら和子ちゃんの家に滞在していた私は幸いにも妊娠中のコロナ感染を免れたというわけだ。
これをご先祖様たちのはからいと言わずしてなんと言おう、というもの。

「大きいお腹でわざわざ京都から来ることないって!」と当初言っていた和子ちゃんも、「ほんっとうにあんた福島に来ていてよかったねえ!」「安吉さんとご先祖様が守ってくれたんだね」としきりにくり返していた。


産後は和子ちゃんが京都までひ孫の顔を見に来てくれたが、まだ子連れで福島の土を踏むことはできていない。暑さが落ち着いたら、ご先祖様へのお礼もかねて行きたいなと思っている。



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