見出し画像

たった1つの癖をやめたら人生は変わる

ユダヤ人の成功哲学を直接、先祖代々資産家のビバリーヒルズの長老から受けて育ったRyu Julius (岩野竜, 陳 頌文) 氏(以下、ジュリアス師匠)による勉強会の記事です。

「チャレンジする」、とは日常的に・気軽に使う言葉でありながら、そこにこもった真剣度合いの濃淡はほんとうに千差万別だと思う。


たとえば苦手なパクチーを「今日はチャレンジしてみようかな」とかお洋服を買う際に「いつもは選ばない色にチャレンジしてみる」といった、ごくカジュアルな「チャレンジ」だって「チャレンジ」だ。


でも今日私が書きたいのはそういった、淡いチャレンジのことではない。

挑むのが怖いような、そのことを考えるとちょっとどきどきしてしまうような、なんならはじめからやめておいたほうが心は楽かも、とつい思ってしまう、そういう”濃い”チャレンジのこと。


思えば私がそのような真剣なチャレンジをしたことって、大学受験以来あったかどうか。

大人になってからというもの、今までできなかったことに挑戦しようとしても、その「チャレンジ」の隣にはいつでもセットのように「諦め」がぴったり寄り添っていた。

そして「あ~やっぱり私には無理かも」と思ったらすかさず「諦め」サイドにスライドする、ということがくせづいていたように思う。

それは心の安寧のために、傷つくことを避けるために。


「あきらめ癖」がついていない大人のほうが、世の中の多数派なのではないかと思う。

なんならさっとあきらめられることがスマートだ、とかそれが大人ってことなんだ、といつの間にか思っていたり。


でも、もし理想の人生というものがあるなら、叶えたい夢があるなら、チャレンジしなくちゃいけない時というのがある。

同じところで同じことを繰り返していても、いまいる場所からは一歩も動けないのだから。

憧れるものがあるなら、やっぱりチャレンジしなくっちゃ。

私はいまその渦中にいる、そしてジュリアス師匠率いるコミュニティのみんなもその渦の中にいる。


さてチャレンジ、チャレンジと繰り返してきたけれど、チャレンジの定義とはなんだろうか。


それは「できないことをできるようにすること」。

……ものすごくシンプルな表現だけれど、はっとする。

だって私にはいつの間にか「できないことはできない(からしようと思わない)」が染みついていたから。

「できないことをできるようにする」と思うこと、それ自体のハードルがそもそも高くなっていた。
そりゃあチャレンジがこわいわけです。


もし自他ともに「120%やったよね!」と認めるくらいやって、それでもだめだったことを「あきらめた」とは、誰も言わない。


「あきらめる」のほんとうのところは「やってもいないのにあきらめる」ということ。

残念だけど、これは習慣になる。
「あきらめる」はたやすく習慣化してしまう、おそろしいことに。

そしてあきらめ癖があると、私たちは理想とする人生を生きることはできない。

私を含め、これを読んでいて耳が痛い(目が痛い?笑)大人は多いのではないかと思う。
「言われてみれば、あきらめ癖ついてますう」と。


とはいえチャレンジはこわい、だって「できない」という認識があるのだから、そりゃあこわい。


そこでジュリアス師匠は2つ、「チャレンジのコツ」をさずけてくれた。


コツ1、「チャレンジには場数が要ると知っておく」。


たとえば相手にプレゼンをすれば、毎回毎回100%yesをもらえるわけはなく
yesもあればnoもある、と知っておくこと。

1回2回試みてだめだとしても、それは単に場数が足りないだけ。

「できないことをできるようにする」にはとにもかくにも場数が要る、そういう性質のものだとはじめからわかっていたら、心理的負担は減る気がしませんか。

数をただ増やすこと。
100回やったらどうだろう?200回やったらどうだろう?って。


師匠は20代の頃、1000万円のダイヤモンドを初対面のお家をピンポンして売る(!)、という修行をされていたそう。

そのような、私からすればいったいぜんたい何をどうしたらyesをもらえるのかまっったく想像もつかないチャレンジですら、場数を踏むことでyesをもらえる率が1/100からしまいには1/3や1/2になったという。


そしてコツ2、「チャレンジをすることのメリットを自分で認識する」。

こんなたとえ話がある。

ホットドッグの大食い大会に出る人たちがいて、ある人には「賞金は1000円」、ある人には「賞金5億円」と違う金額を伝える。

大会本番、苦しくても最後までがんばれるのはどちらだと思いますか?というたとえ話で、もちろん答えは「賞金5億円」と伝えられたほうに決まっている。

がんばってもホットドッグ代がタダになる程度の見返りしかないと思うのか、それともいまがんばれば人生を変えてしまうほどの見返りがあると思うのか。
「あきらめ癖」に逃げ込むかどうかは、それに左右される。


私たちは、すばらしい未来があれば燃えることができる。

この目の前にあるチャレンジをしたらどんなすばらしいことがあるだろうと想像すること、
これがコツの2つめ。

ぜひいまこの記事を読んでくれている人にも考えてほしい。

チャレンジをすることで、私にとってどんないいことがあるだろう?って。

師匠の勉強会でもみなさんからいろいろな答えが出てきた。

「今まで見えなかった景色が見えて世界が広がる」「チャレンジをしてやり切ったら、すっきりできると思います」「自分のことを好きになると思う」「チャレンジする姿を見せて、子どもの見本になれる」etc…


なかでも私が好きで「わあ、これ採用しよう」と思ったチャレンジの定義をシェアさせていただくと、

「自分に定めている限界値が妄想だと気づく」、
そして
「不可能が可能になることを体験できる」。


もしも不可能だと思っていたことを可能にできたら。


私は自分のことを魔法使いだと信じられると思う。
人生を思い通りにできる魔法使いのようなパワーがあるのだと。

そしてそんな自分のことをもっと好きになると思う。

チャレンジって、そのためにある。

自分にパワーがあることを思い出せて、自分をより好きになるために人生が用意してくれたとびきりの遊び、それがチャレンジなのだと思う。
(これはあくまで私の定義ですが)

ときに落ち込むことがあっても、感情を共有できるハートのセーフティネットがあるこの場に感謝しながら、人生が用意してくれた遊びに幼い頃のように夢中になりたいと思う。


読んで「なんだか楽しそう」と思ってくださった方へ。
ジュリアス師匠による勉強会に参加できるコミュニティ、ご興味のある方はこちらにDM、もしくはcandybell.anna@gmail.comまでご連絡くださいませ。
必要なのはお金ではなく「自分を変えたい」「人生を変えたい」という気持ちです。✨


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?