「幸せ」という感情は存在しない
冷え込む日の晩にお風呂に浸かったら、しあわせ。
愛するパートナーと子どもとのんびり過ごす休日、しあわせ。
好物のお鮨に舌鼓を打つ、最高にしあわせ。
「はあ~幸せ」と思ったり、よく口にも出すけれど、それは幸せという感情を感じたから、「幸せだなあ」と思ったり言ったりするものだと、私は思っていました。
ところが幸せは感情ではない、のだそう。
「幸せ」という感情は存在しない
カルフォルニア大学の研究で、人間の感情の種類は2185種である、という発表があります。
だけど意外なことに、その2185種類の中に「幸せ」という感情はないのだそう。
そもそも感情とは何かといえば、「刺激への反応」です。
幸せは感情ではない、というのはつまりどういうことか。
それは、幸せとは「なにか幸せを感じさせる特定の刺激があった時の、それに対する生物的な反応」ではないということ……
幸せって「感情」ではなく、頭でコントロールできる「概念」なのです。
私たちの多くはきっとこう思っています。
幸せを感じるには、幸せという感情を誘うような特定のできごとが必要だ、と。
もっとかみ砕いて言えば、「私、〇〇だったら幸せなのにな~」の「〇〇」が必要だ、と私たちは思っている。
でもそうではないのだと師匠は言います。
幸せって、自分で意味づけをするものなんです、と。
「概念」だから、自分でいくらでも意味づけできるもの。
それが「幸せ」……
だからたとえば「寒い日にお風呂に入ろうが、入らなかろうが、幸せ」なのです。
「寒さをしのげるあたたかいお家とおふとんがあって幸せ」。
「幸せ」は「寒い日に湯船に浸かる」という刺激への反応、ではないのだから。
「幸せをくれるもの」を求めない
「幸せになるためには、幸せという感情を誘う特定の〇〇が必要だ!」と思っていると、その「〇〇」が手に入らないといつまでも幸せになれない、ということになってしまいます。
そして「〇〇」が手に入っても今度は「△△」を、その次は「■■」を、と求めてさまようことになる。
だから幸せになりたければ、「自分に幸せをくれる〇〇」を求めるのをやめようという、ある意味逆説的な話になります。
「自分に幸せをくれる〇〇を求める」のではなくて、
「どんな状況にあっても、それを『幸せ』と捉える自分なりの意味づけができるようになること」、それこそが幸せになるための道、なのです。
では「どんな状況にあってもそれを『幸せ』と捉えられる自分なりの意味づけをできるようになる」ためにはどうすればいいか。
それにはポイントが2つあるので、続きの記事でそれを書きたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?