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#15 TC1 Day18 『後世への最大遺物』を片手に、今しかない贈り物を生きる

前の物書きから、5日も空いてしまった。
先週火曜日に、TC療法第一クールの経過をみる診察と、来月から始まる放射線治療科の診察があったのだけど、それを終えてから、この4日というもの、すっかり寝込んでしまった。

38度を超える熱。関節痛。数日前から続いている喉の違和感。酷い頭痛と、全身の、嫌な痛み。

喉がおかしくなってから、すでに、クラビット(いろんな細菌を幅広にやっつける抗菌薬)も予防的に飲んでいたが、この熱は明らかに、おかしい。
毎日、6時間おきに飲んでいるロキソニンのおかげで、痛みについては、一時は、楽になるのだけれど、夜中になると、また、耐え難い高熱が襲ってくる。
コロナではない。ならば、インフルエンザか?

今、インフルエンザにかかると大変なことになる、(白血球の神様はまだ御帰還の途上)というので、タミフルの予防投与を頂いた。

タミフルは、インフルエンザ治療薬として保険承認されているが、予防投与としての要否は医師の判断で、自費診療となる(下世話な話で申し訳ないが、6,000円もする!)。

それから、ほぼ寝たきりを3日と、社会人になった記念に購入して以来、ずっと苦楽を共にしてきたカリモクチェアに座るだけの日を2日過ごしたのだが、この、調子のヤマ・タニが、交互にくるものだから、明日の計画、というのがまるで立てられない。明日は、起き上がれないほど、辛い日になるかもしれないからだ。

とうとう、昨日は、「ああ、今日はもう日曜日なのか…」と思った。
そこで、ハタと気付いた。
ワタシなんて、このところ、ずっとニチヨウビではないか。世間で汗水垂らして、いや、垂らすまでいかなくても、額に汗して働いておられる皆様に、恥ずかしくって、顔向けができない。


去年の入院の時、入院棟と別棟にあるCT撮影室まで、車椅子で移動したことがあった。
ワタシの車椅子を押してくださったのは、60代かと思しき、とても小柄で痩せた女性のヘルパーさんだった。
廊下の傾斜に、はあはあ、と息遣いが乱れる気配がある。申し訳なさすぎて、ポロポロと涙が止まらなかった。思わず、手を合わせて、元気になったら、「恩送り」をさせていただきます、と心の中でお約束した。

受けた恩を、その人に直接お返しすることが叶わないとしても、他の誰かにお返しすること。もう、すでに、一日一善でも、全然足りないご恩を頂いている。


そんなこんなで、ワタシは、病気になっている場合ではないのだ。
ワタシのように、何か、特別な才覚に恵まれたわけでもないニンゲンにとっての恩送り、とは、出会った人に笑顔で愛を送ること、以外に、ない…。
もっと、もっと、いろんなことができたらいいのに。
そのためには、一生、学び続けるしかない。


この次の次の、次くらいに、中村哲先生のことを書きたいと思っている。
先生は、医師として、アフガニスタンの医療支援に携わりつつ、内戦や貧困とそれに伴う難民化など、あまりに過酷な現地の状況を目にし、ここで必要とされているのは、診療所ではなく、生きる基盤としての「綺麗な水」であり、それを運ぶ用水路だと見出し、現地の人たちと共に、土木事業に邁進。7年がかりで、東部アフガニスタンに24.3キロメートルのマルワリード用水路を拓いた。

2010年、マルワリード用水路は、ガンベリ砂漠に届く。「死の谷」と呼ばれた他旅人を生きて還さぬ荒野は、1万6,500ヘクタールの肥沃な農地に生まれ変わった。
奇跡は、起こった。

左は計画以前のガンベリ砂漠、右は2010年、命の緑野に生まれ変わった
http://sealdspost.com/archives/5388


中村先生と共にアフガンの民のために役立ちたいと、日本から、志ある若者も続々と現地入りした。その時、中村先生が、必ず、彼らに読みなさい、と言って手渡したのが、内村鑑三の『後世への最大遺物』という本だ。

今、鈴木範久『近代日本のバイブル 内村鑑三の『後世への最大遺物」はどのように読まれてきたか』(教文館、2011年)という本を手元に置いていて、それをしかと読み通した後に、考えをまとめたい、と思っていたのだけど、

たいへん情けないことに、
どうも、今のところは、明日の予定は未定〜、な状況なので、今、どうしても、書き留めておきたいことだけを、ここに。

誰にも残すことのできる遺物で、利益ばかりがあって害のない遺物がある。それは(中略)勇ましい高尚なる生涯であると思います。(中略)

高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。この世は(中略)失望の世の中にあらずして、希望の世の中であると信ずることである、この世の中は、悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中へ贈り物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物であると思う。(中略)
われわれに後世に遺すものは何もなくとも、(中略)アノ人はこの世に生きている間は真面目なる生涯を送った人であると言われるだけのことを、後世の人に残したいと思います。

内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の物語』岩波書店、1946年


端折りすぎてしまって、この長ったらしい中略だらけの引用の、何が芯なのか、伝わりづらいかもしれない。
ワタシが、時々挫けそうになる自分のために、書き留めておきたかったのは、こういうことだ。

後世に対して、お金や事業の成果や一篇の論文や思想など、立派なものを遺すことができないとしても、明日を生きるのは素敵だと信じて、勇敢に、真面目に生きた、その姿こそが、後世に残せる最大のものなのだ、と、彼が話してくれている、ということだ。

この本は、内村が、学生への夏期セミナーでの講演の文字起こしなのだが、演者当人が、失敗の連続で、失意のどん底、人生の行き詰まりの場所にあったということも、心に留めておきたい。


明後日、TC療法の第二クールの投与が始まる。
「せめておそろし」で副作用の脱毛のことを書いたが、あれ以降、抜け毛量は指数関数的に?増加し、こちらの方が、すっかりタクラマカン砂漠になってしまった。

私のタキソール&カルボプラチン様は必殺仕事人である。生半可な温情などはない。見逃しはないのだ。
ちゃんとワタシの全身の細胞をくまなく回って、片端から必殺技を仕掛けているらしい。

おかげで、金髪カツラのフィット感は最高だ。
素敵なスカーフや帽子も揃えた。

ところで、大事なことを書き忘れていた。

診察で、先生が、「5.5センチの腫瘍は、ものすごく小さくなっていますよ!」と言ったのだった・・・!!!
ものすごーく、というからには、ピンポン玉くらいになったのかと期待したが、4センチ、とのこと。

そうか、、、が、しかし、である。

タキソールとカルボプラチンは、私の髪の毛母細胞もやっつけてはいるが、がん細胞にもバッチリ攻撃しているということだ。
ヨシヨシ。

次は、もうちょっと、抗がん剤の気まぐれな振る舞いにも慣れて、穏やかに過ごせる自分に成長できていますように。



写真は、幸せを呼ぶ月虹(げっこ、またはムーンボウ、と呼ばれる)。新潟県妙高市、苗名滝にて。
この虹は、太陽ではなく、月の光でかかる虹で、辺りが暗く、満月の日かその翌日小雨や水滴(ここでは滝)があることなどが条件とされる。ご縁があって、この奇跡の瞬間に立ち会わせていただくことができた。やっぱり世界は素敵だ。






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