不安と物語とインターネット

最近寝る前によくポッドキャストを聴いているのだが、こちらの回で、5,000円くらいする学術書が「けっこう高いんですよね」「飲み会1回分くらいですかね」と紹介されていたのがなんだかよかった。

飲み会1回分の本。なるほどね!

5,000円の本と聞くと、私はちょっと身構えてしまうのだが、飲み会1回分と聞くとぺろっと買えてしまいそうな気分になる。もちろん「5,000円もあったら飲み会に行きたいよ」という人も多いはずだ。だからこれは、自分が本に(または飲み会に)何を求めているか……と考えるきっかけにもなって、面白い比較だった。5,000円あればなんでもできますからね。

私の周りはというと、今のところ、飲み会を取りそうな人が多い。というのも、現在マッチングアプリが空前の大ブームなのである。結婚を考えるか、否か、自分の年齢を考えると、たしかにそろそろ動き出さねばなるまい。

気の合う人とマッチングできた人は、とても幸せそうだ。一方で、何人と会っても話題がもたないとか、気を遣いすぎて疲れてしまうとか、あわやホテルに引きずり込まれそうになったとかいう話もちょくちょく聞く。そんなとき、彼女たちはTwitterにやってきて、事の顛末を知らせてくれる。「やっぱアタシ、結婚に向いてない。。。ってコト!?」

実際に彼女が結婚に向かないかどうかは、ここではどうでもいい(すごく良い人なのだ)。ただ、ここがTwitterでなければ……とはいつも思う。身を切るようなギャグ、自虐……。ここがTwitterでなければ、彼女はそんな言い方をしなくてもよかったかもしれないのに

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Twitterについては以前、別の先輩が「嫌なことがあったとき、カッとなってツイートすると、乱暴な言葉遣いをしてしまってよく後悔する。本当はそこまでキツいことは思ってないのに」と苦い顔をしていた。勢いで「死んだらええねん」とか書いて、自分のほうが死にたくなる、あれである。

スッキリしたくて愚痴や不安をTwtterに書くと、なぜかツイートする前よりも沈んだ気持ちになる、ということはままある。件の先輩は、解決策として「ツイートする前にまずメモに書き起こす」ようになったらしい。私も真似てみたが、これがなかなかいい。たぶん人に見られないところで言語化するのがいいのだろう。

最近買ったこの本でも、インターネットについて色々書かれていた(ちなみに飲み会1/2回分くらいです)。実はまだ1章と2章しか読めていないのだけれど、心に残る場面がいくつもあったのでちょっと……一人で噛み締めるには勿体ないと思って……。

まず第1章では「陰謀論」がテーマのひとつになっていて、ネット上での陰謀論者vs反陰謀論者のあり方についても多くページが割かれている。なかでも印象的だったのが、p57から始まる「SNSの党派的なやりとりは議論に発展しない」以降のやりとりだ。物事の理由を話し合うのではなく、「この人は〇〇陣営だ」から入る今のネット上のやりとりは、定型化してしまって議論になりにくいのではないか、みたいな話が続く。

印象的だったと言いつつよくわかっていないのだが、個人的には「定型表現に頼る」というところがポイントだなあと思った。朱さんも「あらかじめプロフィール欄で党派や立場が示されていることも珍しくない。そこで開示される立場や言葉遣いは、すべてあらかじめ予想できるくらい陣営にハイジャックされています」とおっしゃっていたが、これは、ネットでBTSさんを追っかけていると一度は目の当たりにしたことのある光景ではなかろうか。((2023)谷川嘉浩・朱喜哲・杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる——答えを急がず立ち止まる力』p59)

BTSさんのことを、やいのやいのと言う人はよくいるが、彼らに噛み付いて何度かやりとりしたARMYさんが「もういいです。あなた達は結局そういう人だってわかっていたので」のようなフレーズで会話を終了させることの多いこと。逆もまた然り。まるでやりとりする”前”から「分かり合えないことはわかっていた」「あなたがこういう返しをしてくることはわかっていた」ような口ぶりなのだ。だったらどうして会話を始めたのか?

「分かり合えないことを確かめる」ために話しかけたのか? そのためにお互いに会話を続けたのか?

もしかしてそのコミュニケーションの果てにあるものは、お互いに「言ったったぞ」という勝ち誇った気持ちなのでは?

……そのことを一概に悪いことだと言い切れないのは、BTSさんたちに対して向けられた言葉が本当に差別の塊で、放っておいたら将来世代にも悪い影響があるに違いない、ということが多々あるからだ。今断ち切っておかなければ、という。私は別に、トーンポリシングをしたいわけではない。

そして何より、ARMYというコミュニティ自体が、BTSさんが世界的スターになるまでの険しい道のりを”ともに”乗り越えてきたという連帯感でつながっているからだ。

そういう物語(ナラティヴ)を共有しているからだ。

ナラティヴの話になると、いつも思い出す『あんさんぶるスターズ!』の台詞がある。自分に自信がなく「物語の背景でしかない」と感じていたキャラクターが、天才である幼馴染とともに、初めてステージに上がったときの台詞だ。

(あぁ、楽しいな。おおきなものと絡みあって、己を骨の髄まで溶かして一体化するのは)
自分の輪郭が消えて、何か輝かしいもののいちぶになる
(独りでは生み出せない熱量で、自分だけでは辿りつけない物語のなかへ旅立てる)
(この感覚が好きだ。〔……〕この世界に、この現実という物語に必要な登場人物のひとりになれたみたいで

-(2017)『あんさんぶるスターズ!』「追憶*それぞれのクロスロード」「Crowd/第五話」より

「自分の輪郭は消えているのに、物語の登場人物のひとりになれたような感覚になれる」という、一見矛盾してみえる文章だが、かなり的を得た表現だなあと思う。自分を型に、物語にはめていくことの快感、安心感。彼にあるのが「自分の存在が零になったような」不安だと思えば、よけいに。

今回、ARMYさまたちの言葉について書こうと思ったのは、そういうやりとりが前よりもよく目に入るようになって、自分自身どうしようかな……と悩んでいたからなのだけれど、いまこのコミュニティ(私含め)はメンバーの兵役やソロ活動でかなりナイーブになっている。ぶっちゃけめちゃくちゃ不安である。入隊とか本当はしないでほしい! 今すぐ戦争がなくなってほしい! きついこととか、変な憶測とか、誰も言わないでほしい!

だけど、今のこの現状に対して、何かしなくちゃいけない、何か言わなくちゃいけない、という気持ちも本当にあるのだ。

そうなんです。だから、そのことについて私自身が何を言えばいいのか答えが出てなくて、まだずっと迷ってるところです。苦境を生じさせている構造や環境を変えるために、どう関わればいいのかはずっと考えてて、やっぱりわからない。

-(2023)谷川嘉浩・朱喜哲・杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる——答えを急がず立ち止まる力』p99 より

そういう意味で、杉谷さんのこの言葉にはなんだかすごく救われた気分になった。今こうして衣食住揃った暮らしをしながらPCに向かう私にも、マジョリティ的な側面がある。マジョリティとして、何ができるだろう。

SNSで議論は生まれない。考えが積み上がっていかないから。不安に押し流されそうになるから。それならインターネットは「これからのこと」を語るには向かないのかもしれない

とはいえ、ひとりでじっと不安に耐えるのも、それはそれでキツすぎる。

どうなるかわからない未来の話をして、皆で不安になるよりは、今どうするかを考えて、あったことをインターネットで喋るようにするといいのかな。おいしかった飲み屋さんの話とか。

ちなみに、j-hopeさんの兵役前最後のソロシングルはこちらです。なんと飲み会1/20回分! まだの皆さん、買いましょうね(ダイマ)