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踊り部 渡の苦悩、そしてパッション、もしくは兄者のシュークリーム【物語】


「ブラボー!ブラボー、踊り部!」
「芸術点において、過去最高得点を叩き出しました!」
「部長のわたりくん、いまのお気持ちは?」
「日頃の練習の成果を皆さまに評価していただき、光栄の極みです」


 我ら踊り部は、怖いくらい順調に地区予選を突破し、秋の全国大会へ駒を進めることとなった。
 全国大会の優勝校には、トロフィーとメダル、そして黄金のタイツが授与される。踊りを愛する高校生にとって、黄金のタイツは喉から手が出るほどほしいユニフォームなのだ。それを着用し、芸術祭で踊ることを許されるほまれ。

「嘘だと言ってくれ。ただでさえアレなのに、黄金のタイツだと?」
「櫻葉、腹をくくれ」

 というわけで、我々は秋休みが明けてからも、朝と放課後の練習を続行した。そんなとき。

🍰

 渡家の朝食には、食後にデザートが並ぶ。
 果物とかヨーグルトなどという朝らしいものではない。あるときはシュークリーム、またあるときはガトーショコラ、今朝はアップルパイだった。
 昨日の売れ残りだ。
 SDGs。極力廃棄はせずに、身内で食べるのがうちの方針である。

 申し遅れたが、我が家は街のケーキ屋さんなのだ。
 父が菓子職人で、母は売り子をしている。他にバイトさんが二人。
 決して大きな店ではないけれど、タウン誌やグルメ雑誌でちょこっと取り上げられたことはある。

鉄郎てつろう、少しは協力してちょうだい」
「ママンこそ、僕が全国大会を控えているの、知ってるよね?僕は太りやすいんだから、ケーキは勘弁してくれ」

 結局、アップルパイは一口も食べずに家を出た。

🍰

 その日の放課後、担任の水沢先生に呼び止められた。

「渡、来週、お兄さんが帰って来るんだってな」
「えっ?知りませんでした」
「なんだ、連絡取ってないのか?光太郎のヤツ、気まぐれで俺にメールしてきたな」

 兄の光太郎と水沢先生はこの高校のOBで、ふたりはクラスメートだった。

「今度帰って来たら、うちの学校で講演してくれって頼んでたんだが、アイツのことだから憶えていないだろうな」

 それじゃ、と手を上げ、先生は職員室に戻って行った。

「おまえ、兄弟いたのか」
「年がひと回り上だから、とっくに家を出てるのさ」

 櫻葉はそれ以上、兄のことを踏み込んで訊いたりはしなかった。

🍰


「ヒドイ!兄者あにじゃがぼくのシュークリーム食べた!」
「ハッハッハ、おまえには糖分が多すぎるから、兄が食べてやったのだ」

 忌まわしい記憶が甦る。
 

 両親が店を開いて最初の一年は、閉店前にいつも商品が完売していたため、ケーキ屋の息子といえど、なかなかお相伴には預かれなかった。

 たまにシュークリームを持ち帰ってもらえても、兄が家族の分まで全部平らげてしまう。まだ幼かった僕にも容赦しなかった。

 やがてアルバイトで金を稼ぐようになった兄は、その給料をあらゆる店のスイーツにつぎ込むことになる。
 家業を継ぐ為とか、そういう使命感はまるでなく、兄は欲望の赴くまま食い倒した。スイーツの悪魔、と僕は呼んでいる。

 ヤツの狂気は加速した。
 どれだけ甘いものを食べても太らない。虫歯も出来なければ血糖値も上がらない、という驚異の能力を身につけたのだ。
 そして、ついに…というか…やっと、人生の目標をパティシエに定め、兄は単身、フランスへと飛んだ。

 旅立つ前、テーブルに置かれた皿には、メモが添えられていた。

『弟へ いつかのおやつを返す。ビッグになって帰るから、いい子で待ってろ』

 皿の上に、萎んだシュークリームがひとつ。シンク台には、生地まみれのボウルと泡立て器が、水に浸けたままの状態で放置されていた。

🍰


 あれから10年。
 盆暮れ正月にも帰って来なかった兄は、久方ぶりに我が家の敷居を跨いだ。といっても、その痕跡だけがあった。どこぞで獲ったパティシエコンクールの優勝トロフィーをダイニングテーブルに載せ、それを文鎮代わりに置き手紙。


父上、母上、鉄郎へ
ご無沙汰しております。きっとこの10年、変わりなくお元気であったことと推察します。
ちょっくら講演かました後、改めてご挨拶に伺います。
玄関の鍵、変えられてなくてよかったです。

鉄郎、ケーキ独り占めしてずいぶんと肥えたことでしょう。これからは兄がもっと肥えさせてやるから、楽しみに待っていなさい。
                   光太郎より

「フッ…僕は肥えちゃいない。肥えたのはママンさ…」

 そうか…兄者のヤツ、優勝経験者なのか。
 僕の中に、嫉妬と羨望の微風がヒュルリと吹き抜けた。僕は僕。兄は兄と思っていても、なぜかいつも負けた気分になる。

 しかしこの夏、ただでさえ精鋭揃いの踊り部にハイスペック櫻葉を迎え、最強の布陣で大会を勝ち抜いてきた我ら。悲願の優勝は目前である。そして僕は、人生で初めて頂上てっぺんからの景色を眺めることになるだろう。

 頭に勝利のシーンを思い描くも、全国大会でそう簡単に優勝できるはずないことはわかっている。冷静なのか弱気なのか…。こういうとき、怖いもの知らずの兄者が羨ましくなる。

🍰


 その日の晩、家では母が張りきってご馳走を用意し、父と僕も兄が帰ってくるまで食事に手をつけず待っていた。あんな置き手紙をしたくらいだから、いよいよ帰還するものだとみんな思っていた。
 しかし、兄は帰らなかった。

「講演会があるって書いてあったものね。付き合いで、すぐには帰れないのかもしれないわね」

 料理を温めなおす気力もなく、僕たちはモグモグという咀嚼音が聞こえるくらい静かに、冷えたフライドチキンを食べた。

🍰

 翌日の放課後、水沢先生が踊り部の練習室に顔を出した。

「踊り部が全国大会で優勝したら、垂れ幕作るぞ~」

 おおー! パチパチパチ

 踊り部員の面々は色めき立ち、爪先立ち、小刻みな拍手をして喜びを表した。

「俄然やる気が湧いてきました!」
「我々の功績が、垂れ幕に!」

「黄金のタイツも名誉なことだが、垂れ幕でこの踊り部が学校内に認知されることもうれしいな」
「忘れてた…。黄金のタイツ」
「早急に腹をくくれ、櫻葉」

 全国大会の日は、もう来週にせまっていた。

「そうだ渡、昨日、光太郎に会ったぞ」
「え、兄者……兄にですか?」

「あいつ、ずいぶんと変わっちまったな。ギラギラして根拠のない自信に満ちていたのが、良く言えば謙虚になったというか、大人になったというか…まあ、もういい大人だけどな」

 ハハハ…と、ちょっと淋しそうに笑いながら、水沢先生は手をヒラヒラさせ、去っていった。

 兄は先生には会ったのか。
 置き手紙からは、相変わらずのふてぶてしい物言いが聴こえてきそうな文面だったので、にわかに先生の言っていたような兄を想像できないが。
 まさか…。僕が兄を心配するときが来るなんてな。

 この日も、それからも、結局兄は家に帰らなかった。
 知らせもなく、またフランスに戻ったのかもしれないと両親も思い始めていた。

🍰


「鉄郎よ、洋ナシのタルト召し上がれ」
「ママン、今日は全国大会だよ?腹プヨでタイツ着て踊れと言うの?」
「朝ごはんの延長でしょ?ひとつ食べたからって影響ないわよ」
「僕はこの日のためにずっと甘いものをってきたんだ。今回も辞退させていただくよ」
「お店があるから応援には行けないけど、成功を祈ってるわ」

「メルシー、ママン!」


 隣の県に遠征するため、なんと、学校でマイクロバスを手配してくれた。それだけ踊り部優勝への期待値が高いのだと感じ、身が引き締まる思いである。

 踊り部に顧問はいないが、引率として水沢先生が一緒に来てくれた。部員達は遠足気分でキャッキャはしゃいでいる。
 櫻葉はヘッドフォンを装着し、窓の外を眺めながら振りを確認中のようだ。
 振り返った部員達はハッとして、「櫻葉先輩、美しい…」「浮かれてる場合ではない。我らも続くのだ」と、同じく着席しながら手足を動かし出した。

 櫻葉をスカウトして本当によかった。


🍰

「いいか?泣いても笑っても、これが最後の踊りだ。まあ、優勝できれば芸術祭でも踊れるがな」
「…黄金のタイツで」
「ボソッと言うな櫻葉。誇らしいことなんだぞ」

「部長と櫻葉先輩と踊れる最後の機会…ううぅっ」
おーいおいおい さめざめ グスングスン
「泣くな!諸君!ともに芸術祭でも踊ろうぞ!」
「黄金のタイツでな」
「櫻葉ぁ!」
「フッ、もう腹はくくったさ。きっちり優勝して、諸君と黄金のタイツで踊る所存だ」
「先輩!」
「櫻葉先輩!」
「だから泣くなって!」


「39番 K県代表 私立笹鎌高校 踊り部 曲はモーリス・ラヴェル『ボレロ』」

 アナウンスされるなか、我々はスッと背筋を伸ばし、クイッとアゴを上げ、各位置についた。無言の目配せ。ニッと口許だけで笑う櫻葉、頼もしいぞ。

さあ、我らのパッションと魂の躍動を、とくと御覧ごろうじろ!


 メロディは血流となり体中を駆け巡る。指の先まで隅々と思い出せるさ、春夏そして秋、我らの踊りと青春の記憶。
 鏡に映した己の姿に愕然とし、もっと美しく、より崇高な世界へ行きたいと願ったこともあった。
 いつもクールに見られがちな櫻葉。しかし彼は骨の髄まで芸術家、表現者であると僕は見抜いていた。入部を決意してくれたときは、どんなにうれしかったか。
 そして、弱小部ゆえの肩身の狭さに耐え抜き、よくぞここまでついてきてくれた踊り部諸君!

 いまは、心のままに踊ろう!ボレロの音楽とリズムをまとい、黄金のタイツも………あっ!!!

ズダーンッ

 一瞬、何が起きたかわからなかった。
 つまづいた。この僕が?
 手をついたまま床を見ると、体育館に廻らされた白線テープの一部がよれて剥がれていた。そこに足をとられたらしい。

 よりによって僕がセンターにくるフォーメーションのときに。ダメだ。頭の中が真っ白に…僕は部長だというのに、今日までのみんなの努力が…!

 ススス… スススス…))

「ハッ」
 気配に顔を上げると、音に合わせて櫻葉と踊り部部員の面々が爪先立ちになり、僕を中心に回りはじめた。
 櫻葉が彼らに目配せをし、ひざまづくと、彼らも順に同じポーズで跪いた。櫻葉が上体をかがめて、しなやかな動きで腕を差し伸べる。

「ボレロに合わせて立ち上がれ」
「櫻葉……みんな…」

 ボレロは間もなくクライマックス。弦楽器も金管も木管も打楽器も、すべてが秩序を保ちつつ狂気をはらんだ音色で迫りくる。

タンタタタ タンタタタ タンタン
タンタタタ タンタタタ タタタタタタ

 そうだな、倒れたら起き上がればいい。
 僕は不死鳥! 何度でもよみがえる、フェニックス渡だ!
 炎の翼よ、我らをさらなる高みへ!見たことのない景色が見たいのだ!

ティロリィーーー… チャララ ジャンッ!!!


 ボレロのあとの静けさ。
 観客席が息を呑むのを感じる。
 痛いほど張りつめる空気。

 すまん、櫻葉、みんな。でも、悔いはない。謝る。だがしかし、いまこの瞬間、僕に悔いはないのだ。礼が言いたい。謝る。みんなに礼を言いたい。心から礼を……。

わあぁぁぁーーー!! )))
ブラボーー! 踊り部! ブラボーーー!


 信じられないほどの大きな歓声が場内に轟く。
 我に返った僕らはスススと爪先立ちで一列に並び、深くお辞儀をした。頭を下げたまま横の櫻葉を見ると、ヤツの大きな瞳から滴が落ちた。

「櫻葉…」
「汗だ。断じて」
「もらっちまうじゃないか…」
「僕は渡が泣いてるだろうと想像して、やれやれと汗をかいているだけなのだ」

🍰

 壇上に呼ばれ、我ら踊り部は優勝トロフィーとメダル、そして全国の踊りを愛する高校生の憧れ、黄金のタイツを授与された。兄の文鎮代わりのトロフィーより、お洒落なデザインであることがうれしい。
 会場からは、一般の観客のみならず、他校の出場者達からも温かい拍手と祝福の声が湧いた。

 生まれてはじめて見る景色だ。

 僕は踊り部を優勝へ導こうと必死になっていた。だが、ここまで僕を連れてきてくれたのはみんなの方だった、
 兄はひとりであのトロフィーを勝ちとったという点ですごいと思う。だが、踊り部の仲間と苦労や喜びを分かち合い手にした栄光は、何ものにも変えがたく誇らしい。

 もし次に兄に会ったら、彼はフランスでの武勇伝を自慢気に語るであろう。それも今なら、土産話として心から楽しんで聴けると思う。


「やあ、素晴らしかった、踊り部!感動した!早速、垂れ幕の準備をしないとな」
「水沢先生、ありがとうございます」
「光太郎もさっきまでそこにいたんだが、これ、弟に渡してくれって頼まれたよ」

 水沢先生から受け取ったのは保冷バッグだった。

 それより兄者、まだ日本にいたのか。しかも、踊り部の応援に来てくれてたなんて。

「自分で直接渡せと言ったんだが…。親父さんに頭下げる決心がついたから、急いで帰るとさ。
渡、家に帰ったら、光太郎のこと励ましてやってくれ。あいつ、相当打ちのめされてるみたいだから」

「打ちのめされてる?兄が?…そんなタマじゃないですよ」
「それが、そうでもないんだよ」


🍰
 

 はじめて聴く話だ。
 水沢先生によると、兄者は単身フランスに渡り、現地でも名の知れたパティスリーで修行させてもらえたものの、そこで認めてもらうまでの成果は出せずクビになったそうだ。
 その後、勤めた店では、ひととおりのものは作れるようになった。しかし、給料はいつまでも安いまま。あとから雇われた新人にもすぐに追い越された。

 フランスでは菓子作りのコンクールに応募しなかった。毎日毎日決められたケーキだけを作り、新しいものに挑戦させてもらえない。自分にはそれ以上のことは求められていないと気づかされた。

 実は兄者、2年前から日本に戻って来ていたらしい。我が家からは遠く離れた場所で暮らしていた。
 自分の店を構えようと考えていたが、なかなか資金は集まらなかったのだとか。

 ただ、その街で開催された『新しいご当地スイーツ』コンクールで、見事、兄者は優勝した。
 (そういえば、置き手紙の文鎮トロフィーには漢字で『優勝』と彫ってあった)

 フランスで修行した経歴に、スイーツの見た目と自分のルックスが良かったからうけただけだ。と、彼らしくもなくやさぐれ、それでいて、彼らしくちょこっと自慢を含めて言っていたので、満更ではなかったのだろう。そう、水沢先生の鋭い見解で兄者の話は締めくくられた。
 
 父に頭を下げるということは、すなわち…。

🍰

 保冷バッグを開くと、白い箱が現れた。中には、まるで畑のキャベツのように綺麗に並ぶシュークリームが。

「萎んでない…」

 10年前、メモと一緒にテーブルに置かれたシュークリームを、僕は思い出していた。
 
 スイーツの悪魔はそれなりに世間の荒波に揉まれ、ちょっと萎んで帰ってきた。そして、こんなにも美しく膨らんだシュークリームを作れる男になっていた。

「お兄さんからの差し入れか?」
「ああ、シュークリームだ。よ~ぅし、今だけスイーツ解禁だ!皆もさあ、召し上がれ!」

 踊り部の面々はキャアキャア喜びながら兄者のシュークリームを頬張った。

「部長ぉ、美味しいです!」
「カスタードクリームがとろけます!」

「うん…このシュークリーム、見た目の美しさだけじゃなく、本当に旨い」


 兄者…、兄者のシュークリーム、これからは毎日食べられるんだね。

 我ら踊り部は、この黄金のタイツを着て芸術祭で踊ることを許された。それまでは、腹プヨ回避のためにも断固としてスイーツは辞退させていただくよ。

 でも、今だけは、この萎んでいないシュークリームで、僕らの優勝と兄者の門出を祝おうじゃないか。


~了~


長い物語を最後まで見届けていただき、ありがとうございました🍀
 
この物語は、ピリカ文庫でスイーツをお題に書かせていただくことになったとき、もうひとつの候補として書き始めたものの、書き進むことなく下書きとなっていたものです。

やっと成仏させられました😹✨️




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