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旧東海道ひとり旅_6【藤沢宿】

東海道五十三次 6番目の宿場町は、藤沢です。
藤沢は、滝山街道、厚木街道、江ノ島街道、鎌倉街道、大山街道の分岐点であり、交通の要所だったことから、1601年、宿場に指定されました。

ちなみに、1601年といえば、我が敬愛するジュリオ・カッチーニが『新しい音楽』の中で、通奏低音を伴うモノディ形式を紹介した年です。(Wikipedia調べ)
私事ですが、カッチーニには本当に毎晩のように世話になっていて...いえ、なんでもありません。

とにかく。出発前日、僕はガイドブックに目を通しながら思いました。

藤沢って、名所がエグいほど離れてんな...
飯盛女めしもりおんなの墓がある『永勝寺』と、『南湖の左富士』を見に行きたいけど、藤沢駅から『永勝寺』経由で『南湖の左富士』までって、10㎞以上あるじゃん...
あ、でも、『永勝寺』に行ったとしても、写真は撮れねぇな。幽霊が写っちゃうかもしれないもん。写真取れないなら行ってないのと同じだし(?)、いいか、行かなくて...
だとすると、茅ヶ崎駅で降りれば『南湖の左富士』までは2㎞弱だし、すげぇ楽に行ける!
名所一か所だけ、っていうのはちょっとアレだけど、まぁ旧東海道を歩くんだから、道中、神社や石碑のひとつくらいあるだろ、と、いうわけで...

今回はガイドブックを参考に、
・南湖の左富士の碑
...を訪れることにしました。

茅ヶ崎駅を出て、旧東海道へ向かい歩き始めると...

さっそく何かある! ほらね、僕の思った通りだ。相変わらず先見能力が半端ない...と言いたいところだけど、ガイドブックに名前だけとはいえ載っていたので、これ(茅ヶ崎一里塚)がここにあることは初めから知っていた。

■茅ヶ崎一里塚

椿もしくは山茶花の花びらが風流
茅ヶ崎一里塚の解説

そして、旧東海道に入ると...

■東海道を200年以上見守ったクロマツ

江戸時代後期からここにあるのだとか。
『平成21年3月に腐朽のため伐採』って書いてあるけど… 根っこはまだ生きてるのかな?
それにしても樹齢200年って、幹の太さがすげぇなぁ… の腹回りも最近こんな感じ…w

松並木の旧東海道を歩いていく...

松が植わってるだけで雰囲気出るよね
我こそは松!
松竹梅の松!
このシリーズの出発点・日本橋からここまで59㎞。
けっこう遠くまで来たな。電車移動だけどね

さらに進むと...
Tutto secondo i miei piani計画通り.
神社発見!

■第六天神社

階段。
アンドレアは上り切れないだろう
パワースポット…
『回復の泉』みたいなものかな…?
『[ご神木]として大切に守られてきた太い黒松』だって。泉じゃなくて木なんだ
くだんの黒松
木のウロには松ぼっくりが詰め込まれている
ご神木の幹

さっきの立札に『そっと手を触れ思いを念じ 力強い運気・気力・体力・精気を養い明日への活力を戴きましょう』と書いてあったので、この記事を読んでくださっているあなたのために、写真に撮ってきました。
画像でも、少しは効果があるかも... もしよろしければ、そっと触れてみてくださいね。

手水舎ちょうずや
神社本体
神社の解説

神社を出てさらに先へ進むと、『鳥井戸橋とりいどばし』の向こうに本日の主役が見えてきた。

ヘリコプター!!
…じゃなかった。富士山
鳥井戸橋とりいどばしにくっついてる切り絵

■南湖の左富士の碑

人も車のナンバープレートも写ってない。
我ながらeccellente素晴らしい!

江戸から京都へ向かう旅人にとって、富士山は常に右手にある。しかし、ここ、南湖で初めて左手に富士山を眺めるようになるのだとか。
東海道の中では、『吉原(静岡県にある14番目の宿場町)の左富士』と並ぶ名所だそうだ。

『南湖の左富士の碑』拡大写真
『南湖の左富士』解説

この連載では、"1記事につき、できる限り1首または1編の短歌かイタリア語の詩を詠む" というルールを設けていますので、ここで一首...

松が根の 絶ゆることなき 慕わしさ
きっと同じだ 二百年後も

東海道五十三次 6番目の宿場町、藤沢はここまで。
次回は7番目の宿場町、平塚へ行ってみたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


参考図書
・ビジュアル版 鑑賞ガイド 地形がわかる 東海道五十三次 (大石学[監修]、朝日新聞出版)
・東海道中膝栗毛(上) (十返舎一九[作]・麻生磯次[校注]、岩波文庫)