Loon

ULハイキング物書き。エッセイを書いてます。翻訳もしています。

Loon

ULハイキング物書き。エッセイを書いてます。翻訳もしています。

マガジン

  • ハイカーの本棚

  • ハイキング・エッセイ

  • ULなんて怖くない

    ULハイカーの悩み事

最近の記事

ソロー著 「森の生活」第1巻 森暮らしを終えて 序説第一章より抜粋 CV千葉繁

「私の名はソロー。かつてはウォールデン池畔に住まう平凡な物書きであり、退屈な日常と戦い続ける下駄履きの仮寓者であった。 だが、あの夜、カタディンの頂上から目撃したあの衝撃の光景が私の運命を大きく変えてしまった。フィッチバーグ鉄道でエマスンの家に帰着したその翌日から、世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。 いつもと同じ小屋、いつもと同じ湖畔、いつもと同じ池。だが、なにかが違う。森からは行き来するウッドチャックの影が消え、小屋の庭先のエリマキライチョウの

    • サコッシュと外読書〜ノーマン・マクリーン「マクリーンの川」

      サコッシュに本を入れて、買い物に出るようになりました。ひと気のないところを見つけては少しだけ読書。おもてで本を読んでいて、風が頬を撫でたりすると、テントサイトで読んでいる気分です。 この時期を無事に抜けきったときに、しるしが残るよう、普段とは違う本を選んで読むようになりました。 「マクリーンの川」はアウトドア・エッセイの中では広く知られている本です。原題の"A river runs through it"の方が知られているかもしれませんね。 釣りをしないわたしには、なか

      • サコッシュ・ライフ 「フォルダカップ」

        必要なものは少ないと言うことを、ハイキングのように暮らすと、教えてもらうことが多い。タープを張って雨をしのぎ、ふにゃふにゃのカップに抹茶を入れ、お湯で溶かして飲む。薄茶。雨音に耳を傾ける。

        • 雪の森へ〜八ヶ岳

           雪が積もっている季節の楽しみ、黒百合ヒュッテにお茶を頂きに行く。  渋の湯の登山口から2時間。黒百合ヒュッテまでの森の中は雪が積もっていても歩きやすくて、夏よりも楽しい。  春のはじめを愉しむハイキングなら、マイクロスパイクがあれば十分だもの。フロントピックで自分のふくらはぎも刺さない。着脱もしやすい。なにより歩きやすい。頂上を目指さないだけで得られる自由がある。  一歩、一歩。雪の感触を楽しむ。少し湿り気を帯びた雪はキュッと小さな音を出す。ときおり目を瞑ると、ピュルル

        ソロー著 「森の生活」第1巻 森暮らしを終えて 序説第一章より抜粋 CV千葉繁

        • サコッシュと外読書〜ノーマン・マクリーン「マクリーンの川」

        • サコッシュ・ライフ 「フォルダカップ」

        • 雪の森へ〜八ヶ岳

        マガジン

        • ハイカーの本棚
          3本
        • ハイキング・エッセイ
          7本
        • ULなんて怖くない
          3本

        記事

          みちのく潮風、冬

          トレイルヘッドにゆっくり向かうのが好きだ。 飛行機や新幹線であっという間に移動してしまうと、心が置いてけぼりになり、駅についた途端にわたしの身体が途方に暮れる。「遠足は家に帰るまで」との格言があるように、「旅路は家の門を一歩踏み出してから始まる」。 18切符を使って東京を出たのは早朝。各駅停車で乗り継ぎを重ね、相馬駅に近づく頃には陽が傾き景色が山吹色につつまれる。初めての土地なのに、冬の午後は懐かしい気がした。  常磐線の車内では帰宅途中の高校生が小さなグループを作って何や

          みちのく潮風、冬

          ハイカーという巡礼者

           空腹と身体の痛みに耐えながら荒野を歩き続ける。その行為は、一般的な「ハイキング」が持つ定義よりも「巡礼」の定義に近い。 巡礼とは、日常を捨て、荒野に入り、神秘的な(人智を超えた形而上な)体験を経て、再び人の世界に帰還する行為を指す。 ロングディスタンスハイキングする人の多くは、旅として歩くことができる「旅人」である。一方で、歩くために捨てて着た「巡礼者」も少ないながらもいることに気がつく。わたしもその一人だ。 終わりを目指すには余計なものを持ってゆけない。制約があるな

          ハイカーという巡礼者

          ヨセミテハーフマラソン?

          シエラクラブからのメールに「ヨセミテハーフマラソン」開催と書かれていて、はてと思う。  環境保全に厳しいヨセミテ国立公園がそんなに人を集めるイベントを許可するなんてないもの。 開催場所をみたら、ヨセミテから南のオークハーストだし、協賛はシエラ・ナショナルフォレストだった。 「上高地マラソン」と書いてあって、「さわんど」とか「新島々」でやる感じかしら。 あまり人が来ないシエラナショナルフォレストに動員するにはマラソン大会は良いし、マラソンなら舗装路だから参加者が多少いても環

          ヨセミテハーフマラソン?

          ソロー時代の映画に見る背景

          「森の生活」を読むにしろ、時代背景を知っているのでは、得られるものが違ってくる。 ソローが何に反発していたのかを理解すると、山暮らしをしている変わり者から一歩進んだ像が得られるんじゃないかしら。 まずは「若草物語」。 ソローと同時代のコンコードのお話。「森の生活」を出版したのが1854年だから、すこし後くらい。コンコードの町は、思ったよりも賑やかな気がする。今は田舎町風だもの。  昨年に新しく映画化もされたのよね。 作者のルイーザ・メイ・オルコットのお父さんがエマスンと同

          ソロー時代の映画に見る背景

          ハーマン・メルヴィル「白鯨」

           初めて入った古本屋さんで偶然見つけた「白鯨」。ハードカバー版を見るのははじめて。訳者のお名前が表紙には書いておらず、誰かしらと奥付を見たら、なんと野崎孝さん訳。鼻血が出るかと思った。白鯨は翻訳家によって、かなり文章の雰囲気が異なり、それぞれの訳者によって読む印象は変わってくる。文学の始まり頃の作品であり、内容自体が型にはまっておらず、とりわけ冒険小説的に読んでしまうと苦労する。それは「森の生活」をアウトドア暮らしの本として読むようなもの。 94年に「世界の文学セレクション

          ハーマン・メルヴィル「白鯨」

          "A Walk in the woods"を読む時間

          アパラチアン・トレイルについて書かれた本では、アメリカ国内においてとても有名な作品。中年のおじさんが二人でトレイルを歩くお話。原作より20年ほど経って映画化されたせいか、主役が高齢者ハイカーになっていた。最近は高齢者スルーハイカーも増えているのを見れば、ミドルエイジ・クライシスがそのまま、老後の問題に推移したようで興味深い。 翻訳版はさっさと絶版になってしまったらしい。高値の取引が続いている。翻訳版を図書館から借りて読んでは見たものの、歩いた人間にとって違和感を感じてしまい

          "A Walk in the woods"を読む時間

          マルチパーパスアイテムについて考える~持たない喜び

           何を削れるか考えるのが楽しい。少しでも軽い装備を選ぶことも良いのだけれど、そればかりやっていると、わたしは「軽量ギアを持ち歩く係」になってしまう。道具は主になってはならない。なにより、「持たないひと」になりたい。持っていかないなら、重さを100%カットできる。旅はわたしのものだ。  ひとつの道具をいくつもの役割で使えると、道具を使いこなしている気がする。例えば、日本手ぬぐいなんて優秀だ。速乾性タオルとしてはもちろん、バンダナにも鍋つかみにも、マフラーにもなる。温泉に寄るの

          マルチパーパスアイテムについて考える~持たない喜び

          「タグを切る〜Follow the pied piper」

          「ウルトラライトの人って、1グラムでも軽いギアを買い集めるんでしょう」と思われている節がある。心外だよ。ULハイカーの多くは、もっと理性的だ。 ①不要なものを持っていかない ②大きな重さを削減できるギア(テント、バックパック、寝袋)から軽いものを選ぶ まず、この二項目さえ抑えてしまうと、荷物はだいぶ軽くなる。ここからは500グラムくらいの攻防でしかない。残りの戦いは険しい。ギアを吟味して、色々と試してみては、さらに切ったりけずったり、買っては比べ、買っては比べ…。沼の中へ

          「タグを切る〜Follow the pied piper」

          雪の黒百合ヒュッテへ

           茅野駅に降りるとひんやりと乾いた空気が出迎えてくれる。硬い底のブーツ。重いバックパック。ガチャガチャとバス停に向かう。  行き先別に登山客が並んでいる。ロープウェイに向かう列が一番長く、赤岳に向かう美濃戸方面が続く。黒百合ヒュッテや高見石小屋へ向かう登山口の渋の湯へ向かう登山者は一番少なかった。  少なくて嬉しい。わたしの八ヶ岳は冬に登るもの。夏は人も多く、売店も賑やかで、なんだかお祭りだ。きっとそれが好きだという人もいるのだろう。山も、もしかしたら、にぎやかな方が喜んでい

          雪の黒百合ヒュッテへ

          初秋の八ヶ岳・県界尾根をのんびり歩く

           清里からのピクニックバスは混んでいたけれど、登山口に向かったのは一人だけ。シルバーウィークの最終日、あまり人気がないトレイルを選んではみたものの、うすら寂しいくらいにトレイルヘッドに一人。素敵なスタートだ。 県界尾根までとぼとぼと歩き始める。気の急いた草や木が夏山らしさを終え、秋の準備中。息があがると立ち止まっては、眼を閉じて深呼吸する。秋の香りがする。松なのか、樅なのか、栂なのか、なにかそういう針葉樹特有な芳ばしさ。 足もとの草や花、栂やダケカンバの形をなぞるように視線

          初秋の八ヶ岳・県界尾根をのんびり歩く

          スローウォークの楽しみ

           秋の山は楽しい。  10月の連休に差しかかるころ、友人夫婦に鳳凰三山に行くけれどいかないか?と誘われた。長坂方面から望む鳳凰から甲斐駒ヶ岳に連なる稜線を歩きたいと思っていた矢先、自分だけ途中から甲斐駒に向かう我がままを許してもらって、一緒に出掛けた。  のんびりと歩くのが好きだ。コースタイムを越えて歩くと得した気分がする。そういう時には、わたしを楽しませてくれるものがたくさんあったのだ。若い時分はバタバタと歩いていたけれど、考えてみたら景色を楽しむために歩いているのだから、

          スローウォークの楽しみ

          初冬の八ヶ岳(後)

           夜中に目が覚める。ツェルトの生地に影が写っていた。寝袋から這い出して外に出ると、大きな月が、木々のすき間をぬけ、青黒い空に浮かび上がるところだった。月明かりに誘われて、池へと向かう。  きんと凍った夜の山に溶けてしまいそうな希薄なわたしに比べて、足元から伸びる影は日中よりも濃かった。影は月夜を謳歌してわたしの先を進んだ。  みどり池の上には月明かりに写し出された天狗岳が青白く輝いている。息をするのを忘れてしまいそう。思い出したように鼻から息をすると、冬山の香りがした。  

          初冬の八ヶ岳(後)