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「うるう」に出て来る少年マジル君の背景、その見えない部分を勝手に妄想してみました。

前回の初投稿記事に「スキ」を押して下さった皆様、ありがとうございます😊
あなた様のその指一本で、私は結構舞い上がる事ができるのだと知りました🥰
自分でもビックリする程嬉しかったです!ありがとうございます♪

という事で、「うるう」をテーマにした第二弾!書かせて頂きます。

と言っても、「うるう」の作品内では語られていない部分を、
本来であれば、小林賢太郎さんでなければ知り得ない部分を、
何者でもない、ただの部外者でしかないNoto初心者🔰の私が、
独断と偏見で勝手に妄想を膨らませてマジル君の背景を考えてみる!
という、
一部の方からはビン🫙や缶🥫やゴミや塩やなんやかんやを投げつけられ、
しまいに水💦までかけられるかもしれない試み…😱きぃゃぁぁぁああ!

「勝手な事言ってんじゃねぇ〜ぞ!ごるぅぁぁ〜!るるるぁぁ!るぁ〜🐟」

などというお叱りの声も聞こえて来るかもしれませんし、
異論、反論、、、しかない、馬鹿げた試みかもしれませんが、
まぁ、素人のお遊びなので、暖かく見守って頂けるとありがたいです。

さて、本題です!
作中では、8歳の少年マジル君が何故森へやって来たのか?
は語られておりません。

どうやって来たのか?は、国土交通省のせい(お陰様)ですが、
どうして森に来たのか?は、語られていないので不明なのです。

え?子供の好奇心舐めんなよ?
はい、仰る通り、私だって森に気軽に行けるなら、そりゃ行きますよ!
自然の魅力はすごいもの♪日中であれば、森林浴しに行きたいですよ!
マイナスイオンをたっぷりモリモリ🌳身体中で感じたいですし!
それに色々観察しがいがある場所ですし、
マジル君みたいな少年なら、きっと身体が向くでしょう。

ですがね、それだと、私が満足出来ないのです。
いや、この作品「うるう」は文句なしで素晴らしいです。
ですが、美味しければ美味しい程に味変してみたくなるタイプなんですよね、私。

って事で、
マジル君の背景考察してみよう!
というか、
マジル君をネタに自分勝手な妄想劇場やってみよう!

レッツラゴー♪\(^o^)/


そもそも、雰囲気からして、マジル君はマジメ君です。
何処を切り取って見てみても、マジル君はマジメ君です。
「マジメなマジルはマジでスゴスギマジ卍(マンジ)」です。

そんなマジメなマジル君が、何故、危険だと言われている場所に、
「あの森に行ってはいけません」と言われているのに行ったのか?

とは言ってしまいましたけれども、
作中で学校の先生が言っていたのは、上記の内容を含んで言ったと思われる
以下の言葉だけ↓

「あの森にはうるうと鳴くオバケがいるよ」

これだけでは、
「ああ、行くなって意味ね」と通じる場合と、
「森にオバケがいる」という情報だけを切り取って、
受け取り手の判断で勝手な解釈をされてしまう危険があります。

オバケが怖い子であれば、
「そうか、オバケが居るなら近付かないようにしよう」
と思うかもしれません。

しかし、
「そうか!森に行けばうるうと鳴くオバケっていうのに会えるのか!」
と、目を輝かせてワクワクしちゃう子もいると思います。

そして恐らく8歳の少年マジル君は知的好奇心が旺盛な子なので、
純粋な知的欲求から、それを確かめたくて森へ入った。
と考えるのが妥当でしょう。

だから、
ヨイチに対して「なんでヨイチさんは…なんで…なんで…なんで…」
と、止まらぬ勢いで聞いて来たのでしょう。

そういう興味、関心、好奇心のワクワクが止まらない少年だったから、
森へ入ったんだろう。と、
そう考えた方が分かりやすく、それが一般的で素直な感覚なのかもしれません。

しかし、
それだと、私としては一味足りない気がしちゃうのです。
なので無作法ながらも私好みにカスタマイズしてみたくなるのです。

しかし土台は大事なので、
まずはマジル君の特徴をサラっとおさらい(お皿洗い🍽️🧼)しますね♪

マジル君は8歳にしてリーダー的立場になれる要素を既に持っており、
様々な行事でそのリーダーぶりを発揮します。
そう、彼はクラスの人気者。色んな楽器も弾ける多芸多才な少年です。
要するに、
いつも1人余るというよりも、いつも1人選ばれる少年です。

この背景を考えると、まずは裕福な家庭である事が容易に考えられる。
ということは、
父親は何かしらの権力を持った人間である可能性が高いのかもしれない。
(妄想ですけど)

そして母親は、その家庭に相応しい子供である事を意識的に、もしくは無意識に息子に一方的な期待をしていた可能性があったのかもしれない。
(もちろん妄想ですけど)

※ここでちょっと補足というより余談ですが、
私は生活保護を受けるような貧乏家庭で生まれ育っており、父はアル中、母は病弱、頼れる大人は何処にもいない🥶というような機能不全家族育ちである為、
子供の頃から様々な体験をして色々な楽器が使えるような子供の家庭のリアルな想像は出来ないので、どう頭を捻っても捩っても、私の偏った思考の上に成り立つ妄想の域は越えられません事を、ご了承願います。本当に申し訳ない!

(話を戻しますね)

そして、8歳にして、そのような多芸多才に至る経緯を考えてみると、
彼は常に1人の時間を多く過ごして来たのだろうという事が想像できる。

そして自分勝手にマジル君の心情を私の偏った見方で想像すると、
マジル君は、8歳という小さな身体では持ちきれない程の重積を抱えていたのかもしれない。と、私は感じるのです。

「何故か、僕は、いつも1人選ばれる」

その体験が自信に繋がる事もあるのかもしれません。
けれども、
その一方で周囲の期待を背負ってしまう事の重圧に耐えられない場合も
考えられると思うのです。

その場合、何故、彼が森へ向かったのか?は、
私の妄想的観点から考えると、ヨイチの思いと繋がる気がするのです。

「苦しい気持ちから、逃げたかった」

もしかしたら8歳の少年マジル君は自我の形成というのか、
アイデンティティの確立がされる前の段階で、
自分は自分のままで価値があるという実感がないまま
「何処へ行っても期待され過ぎる」という経験を繰り返してしまい、
本来作り上げられるべきだった「健康的な自分の自我」ではなく、
「こうあるべき的、みんなが求める姿」にならなければいけないという
思い込み(という勘違い)をしてしまうようになった。

(と、仮定してみると…)

いつしか賛美や称賛の声にモヤっとした違和感のようなものを感じたり、
嬉しいけれども苦しいような、
本当の自分ではなく仮面だけが誉められているような気持ちになり、
本当の自分を分かってくれる人はいないという孤独感を抱えて、
自分自身が本当の自分を認められない事で、
どれだけ他者から認められたとしても満たされずにいるという事には気付かず、何故だか言い表せない複雑な気持ちのまま自他間のズレを感じて悩んでいたのかもしれない。

もしかしたら誰にも相談出来ず、周囲の期待も裏切れず、
「僕は誰もが認める良い子」であり、人格者のようにあらねばならぬ。

という、
8歳の子供にとっては重くて息苦しい仮面を被りながら、
その仮面の内側で誰にも言えぬ思いに1人もがき苦しみ、
他者の意見と自分の意向をしっかり分けて考える事が上手く出来ずに、
どちらも否定する事なく上手に折り合いを付けるという術もないまま、
自分の中で揺れ動く感情の葛藤に苦しみを覚えた少年マジルはある日、
それらを感じさせる家族や友達、学校や社会から、
ふと、逃げたくなる衝動に駆られたのかもしれない。

そうして森に向かい、ヨイチが仕掛けた罠にかかった時、
ハッと我に帰って、先生が言っていた事を思い出した。
そして、目の前にいる何者かに、
「貴方はうるう?オバケ?僕、食べられちゃうの?」と言った。
のかもしれない。

もしくは、
何かのキッカケやタイミングなどによって自暴自棄になっていた
とも考えられる。
その場合はオバケのうるうに会う為に森へ入ったのかもしれない。

しかし、どちらにせよ、マジル君を食べるオバケはいなかった。

そこには「うるう」と鳴くオバケではなく、
なんだか面白い「うるう人」のヨイチさんがいた。

マジル君の周りにはいないタイプの彼と話をするうちに、
適度な心の距離感があり、自分を取り繕う必要もない彼と関わるうちに
マジル君は何故か楽しさを感じられたのかもしれない。

自分に過度な期待をしないヨイチさんの前では仮面は要らない。

マジル君は次第に、あるべき子供の姿に戻り、
「自分は自分のままでいいんだ」という感覚を手に入れて、
純粋な好奇心で満たされていったのでは無いか?と私は空想してみました。

だからこそ、
何も考えずに自由に過ごせるヨイチとの時間はとても心地良く、
マジル君は何度も足繁くヨイチの元に通ったのではないだろうか?

そして
あるがままの自分で居られる楽しさを感じられる森の中で、
そんな心地良さを感じさせてくれたヨイチだったからこそ、
友達になりたいと思ったのかもしれない。

だから何度も何度もヨイチから
「もう二度とここに来るんじゃない!」
と言われても通い続けて…


全てを知ったその後も、ずっと、
ヨイチに会えなくなってからも、ずっと、
マジル君は、きっと、ずっと、

「いつかまた会える日のために」

音楽の腕を磨いていったんじゃないかな?と、
ヨイチに会えない時間を無駄にしないようにと、
マジル君は40年の月日を過ごしたのではないだろうか?

そしてヨイチと肩を並べてもおかしくない年齢に達するまでの月日を数えながら
ヨイチと本当の友達になれる日を夢見る事で、マジル君は、
その思いを現実の世界で生きる力に変えていたのではないだろうか?


※ここでちょっと補足させて頂くと、
同じ誕生日とか、同じような経験をしているとか、同じ出身地だとか、何かしら自分と同じ特徴を持つ相手に対しては親近感を持つ。
という心理が働くため、マジルもヨイチも互いに惹かれあった。
という解釈で終わらせてしまうことも出来る。
いや、普通はそうするのだと思う。
とは思ったのですが、私としては、それだけでは足りないのです。

私が私の為に、私が共感出来る内容にする為には、作品内の人物も、きっと私と同じような、もしくは同じではなくとも違った悩み苦しみがあるはずだと思いたいのです。もっと様々な事情や、複雑な感情が重なり合った結果そうなったのだと、思いたいのです。

そんなふうに、
目には見えない背景を自分なりに色々と考えてみると、
なんだかより一層「うるう」のラストシーンにうるうるっと感動しちゃうと思ったから色々妄想してみました♪
という私の妄想劇場の話は、ここで終わりです。

だけど、
マジル君を私みたいに穿った見方ではなく、普通の感覚でまっすぐ見れば、家庭環境も良く、8歳とはいえ多くの経験をしてきたマジル君は、自我の確立もスルッと問題なく進み、既に自分自身の価値も分かっていた為に、ヨイチにだけでなく、多くの人々に対して自分をよりよくアピールすることが自然に出来ていたと考えるのかもしれません。

でも、
それだと私が満足出来なかったから、穿った見方で妄想劇場しちゃいました。
ごめんくさい。ごめんださい。ごめんだめんだめんどうるさい。
ということで、終わりの終わり。

※余談ですが、フクロウは英語でowlと言いますよね?
「おうる」と「うるう」ってちょっと似てますね🤣

ちなみに余談の余談ですが、私は串焼きの焼き鳥の具を、最初は普通に半分だけ串に刺さったまま食べて、半分残った焼き鳥の具は食べやすいように串同士をクロスして串から外して、外した後の2本の串を箸のように使って外した具を食べたりしますが、串は細いので、なかなか上手くつかめません。
そのうち、ちょっとイラついてきて、箸のような持ち方をしたままだけれども、串から外した焼き鳥の具に、串箸をブッ刺して食べたりします。
これ、食べてるだけなのになんだか楽しいので、私はお団子でもやります🍡
でも、手が汚れるので、オススメは出来ません🤣
もちろん人前ではこんな事やりませんが、家で食べる時は、ずっと同じ食べ方では面白くないので、次々と色々な方法を試したくなるのです。

こうやって、自分で自分を笑わせてあげれる私であれば、自分で自分に寄り添ってあげられる私でいられれば、楽しい時間が増えて、気分も良くなり、私は私を好きになっていく。かもしれないから。

だから今日も、私は私を楽しませる為に、試行錯誤をしています😆



さてはて、貴方の貴重な時間を使って、私の勝手な妄想劇場にお付き合い頂き、
ここまでお読みくださったなんて、貴方様は神様ですか?え?オリンポス?

なにはともあれ、感謝申し上げます。どうもありがとうございます😊

そんな貴方には、とっておきの魔法をかけてあげましょう!

🧙‍♀️🪄💫ビビデバビデブ〜バブ〜デ、アナタノナカノ、ベビ〜チャンガ、ヨロコブ〜ワヨォ〜♪バブゥ〜バブゥ〜バブゥ〜♪👶✨


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