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別れと手紙と感謝と

別れの多い年度末でした。

次女は保育園を卒園。
職場でも、去る人がいたり、異動で会えなくなる人がいたり。


お別れのあいさつの形

今まで、わりと別れのあいさつに気を遣うことが多かったように思う。別れる際のお作法、というか。

自分が職場を去るときは、いろんな人にもれなく、でも、差をつけるところはつけて挨拶の品を渡したり。手紙やメッセージは、私のキャパを超えるので書くことはあんまりなかったな。

昔、「挨拶もできない常識のない人間」というレッテルを、陰で貼られていたように思う。なんでもいいから悪く言いたい人を起点に、私をよく知らない人にまで、嫌な感じで見られていたように思う。

そういうのがトラウマになってというか、あぁ、気を付けないといけないんだな、と「社会人らしく」生きることを学んだ。

お別れが寂しい、悲しいという素振りは、必須に感じていた。

お別れの手紙を書くようになった

人が去るときは、心ばかりのお菓子やお茶を渡すことが多い。

この数年、親しい人、お世話になった人には、手紙を書くようになった。書けるようになったとも言える。本当に、ここ1~2年のこと。

1年前。保育園の次女の担任の先生が、それまで5年間担当してくれていて、来年もよろしく!って話をしていたけれど、担任をしてもらえないことが判明した。

先生自身も年長の担任をする気満々だった。親に知らされるより先に、次年度の配置を聞いたけど、まだ納得できずにモヤモヤしているようだった。声をかけただけで泣きそうになっている先生を見て、手紙を書こうと思った。

本当は、その1年後の卒園式の日に手紙を渡そうと思っていた。

次女に関しては、本当に心配することが多かった。弟が生まれて、なかなか次女のことを見れなかったり、イライラしてしまったり。

大変だと感じることが多い中で、先生に話を聞いてもらったり、一緒に「大変ですねぇ」を共有したり。なんとか毎日をやり過ごしていた。

それが、年中の2月の発表会で、ものすごく成長を見せた次女。あぁ、もう心配はいらないんだ、と心の底から思った。と同時に、私が不安定だった時期も、しっかり次女を見てくれていた先生に、感謝の念があふれだした。

この感謝はどうしても伝えたい。
卒園式の日に、と思っていた。

思いのほか早く、「別れ」まではいかないけれど、離れてしまうときが来た。

先生がいてくれて本当にありがたかったこと、あまり表に出てなかったと思うけど、わりと大変な状況で生活していたこと、「最後まで担任してほしかった」気持ちもあるけど、「今までの5年間続けて見てくれてただけでも、十分にありがたい」と手紙を書いた。

今まで生きてきた中で、たぶん、いちばん熱い感情だったと思う。

また最近手紙を書いた

保育園の先生以外にも、なんだか感謝の気持ちを伝えたくなると、手紙を書くようになったように思う。

いちばん最近は、直属の上司。この4月から別組織に異動になり会えなくなる。2年弱前に私を雇ってくれた。以前にも勤めたことのある職場で、顔見知りだった。嫌な経験もした前回の雇用期間の後、しばらく違うところで働いていた。この人の元でなら大丈夫、と感じて応募した。

実際、一緒に働き始めて、こんなにありがたい上司はいなかった。正直で表裏がなくて。いろいろ教えてくれて。
私の根強い人間不信が、この2年弱ですっかり薄くなった。心の底から安心できた。

そんな思いを手紙に書いた。彼女のまっすぐさが私を救ってくれたと思う。

別れが悲しいわけではない

なんだか泣きそうになる。なんだろう。別れが悲しいわけじゃない。

出会えたこと、影響を受けたことへの感謝の気持ち?つらかった気持ちが浄化されるときに、涙になる?

何かが、じんわりしたり、ぶわっとした気持ちになる。悲しい寂しいより、もっと温かな感情に思う。

別れ自体は悲しくない。また会えるし、たとえ会えなくても、私の心に、その人が存在している。

「別れは悲しい」をあきらめる

別れは悲しまないといけない、と思っていた。
別れが悲しいふりをしてきた。

でも、もうやめた。

別れは悲しくない、でいい。
出会えたことに感謝、でいい。

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