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変化(誰が何をした)

半年ほど前に、物事の見え方が大きく変わった。自分と向き合いつつ、怒ったり悲しんだり喜んだりしながら、なんとなく心が軽い方向に進んでいる。

ふと、あぁ今の私は、もう以前みたいに「誰が何をどのようにしたか」を気にしていないな、と思った。

特に仕事をしていて思ったんだけど、私はわりと自分のテリトリーを作って、自分が作った枠の中で、一番いいと思うバランスを取りながら、手順にこだわっていることが多かったように思う。

他の人がやることを、どうにかこうにか、自分の枠の中に押し込めて、取れないバランスを取ろうとしていた。

でも、最近は、「今どういう状態か」を見て「何が必要か」を考える。そして、そのために誰が何をやってもいいと思っていて、「最終的にどんな状態になったか」を見ている。

めっちゃこだわって、大好きだった「自分の枠」が、最近どうでもよくなっている。どうでもいいし、何でもいいな、と思うことが増えた。


前は、「自分の枠」が美しいように思っていたと思う。これが最適で、バランス取れてて。

でも、それが「本当に自分の思う最適」じゃない、ということに気づいてしまったのだと思う。

「『一般的に最適』と私が思う最適」を選んでいたのだと思う。「自分以外の最適」なので、バランスを取る必要がある。この人とあの人と両方がよしとする絶妙なバランスを探す、という感じだったかも。

さらに残念なことに、「『一般的に最適』と私が思う最適」は、「一般的な最適」とズレがあったりする。そして私は固まる。


それが、「自分の最適」だけでいいと気づいたことで、他の誰かが何かをしても、「それに反応して自分が何をするかを決めればいい」と感じている。


基準が「自分」になり、気にするものが「自分の行動」になったことで、すごく心が軽くなった。

他の人のことを気にしなくてもいい。今まで必死に想像していた他の人の気持ちや考え、利害は、もうどうでもいいや、って思って。どうせ、私の想像はズレてるし。

開き直ったら、すごく楽になった。

これが、他人軸から自分軸になるということなのかな?

まだまだ人に寄せちゃうし、引っ張られるけど。できるだけ軽く、できるだけ自由にいたいな、と思う。


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