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白馬国際クラシックの50kmコースをたどって、白馬の名所巡りを楽しむ

山を駆ける競技「スカイランニング」「トレイルランニング」の選手であり、「白馬人力車」の事業責任者でもある上正原真人(かみしょうはら・まさと)さんの連載「トレイルランナー、白馬を人力車で駆ける。」。白馬での仕事の様子、競技での海外遠征の様子などを月イチで綴ります。今回は、白馬で行われた大きなトレイルランニングの大会「白馬国際クラシック」のコースを辿りながら、知られざる白馬の名所を紹介してくれました!

白馬のトレラン大会にトップレベル選手が集結!

9月4日、白馬村全体を使ったトレイルランニングの大会が開催された。今年で10周年を迎え「白馬国際クラシック」という新たな名前に変わり新体制での開催となった。これまでのお祭り感が漂う大会雰囲気を残しつつも、ミドルのカテゴリーには日本を代表する選手が集結し世界戦への切符をかけて激しいレースが展開された。4つあるカテゴリーのうち、28kmのミドルがGolden Trail National Series(GTNS)の最終戦に位置付けられたのが理由だ。

GTNSとはSalomonが主催するトレイルランニングのシリーズ戦で、アジアで初となる国内シリーズが2022年度、日本で開催されている。最終戦となる白馬国際クラシックの結果により年間ランキングが確定し、男女上位3名が10月にポルトガルで開催される世界戦への招待切符を手にすることができる。

私も参戦したかったが、翌週に控えたスカイランニングの世界選手権(SWC)の調整のため今回は出場を見送った(直前の怪我によりSWCの出場も辞退することになってしまったが……)。代わりに事前準備や当日のボランティアとして大会に関わらせていただいた。

コース上にある白馬の名所を紹介!

今回の記事ではロングカテゴリーのコースを地図上で巡りながら白馬の見所をご紹介していきたいと思う。半世紀以上前に廃業となったスキー場の跡地や城跡など、地元民でも滅多に通らないようなルートが含まれているのでレースならではの名所巡りができる。

白馬の名所をぐるっとめぐる50kmロングコース

白馬大橋 1km地点

選手たちはスタート直後に早くも絶景を目にすることができる。白馬三山とそこから流れる雪解け水によって作られた松川。白馬大橋から見える山と川のコラボはまさに白馬を象徴する景色だ。

橋の歩道には白馬三山の雪形を紹介した看板が設置されている。白馬岳が「しろうまだけ」と呼ばれるようになった由来も紹介されているのでご存知ない方は必見。また橋から東へ川沿いの道を進むと公園やオートキャンプサイトがある。散歩したり走ったりスケボーしたり、または何もしてなくてもいるだけで居心地の良いロケーションだ。

大きな岩から川に飛び込めるスポットもあり、夏は「ドボンポイント」としても大人気。ただ松川は雪解け水なので水温はかなり低めなので要注意。これから始まる長い旅路にパワーをくれるスポットだ。

雄大な景色にパワーをもらっていざ出発

おかるの穴 13.5km地点

最初の難所岩岳を登って下りて落倉の道路に出ると2つ目のエイドステーションに到着する。エイドの名前は「おかるの穴」。

ここでちょっと怖い言い伝えを紹介しよう。昔、切久保地区におかるという働き者のお嫁さんがいたという。村でも仲の良いことで評判の家族だったのだが、あるとき、味噌汁の味付けが原因で姑との仲が最悪になってしまった。それ以降、姑の嫌がらせにあうようになってしまったおかる。ある日、仕返しをしようと近くの諏訪神社にある7つのお面のうち、最も怖い顔をした般若のお面を持ち出して被り、夜中に姑を驚かせた。

姑は一瞬で気絶してしまい、日頃の憂さ晴らしができたおかるはしめしめと思ったのだが……あれ? お面が外れない。夫にこの姿を見られてはまずいと思い、慌てて外に出たおかるは大きな岩にあいた横穴を見つけそこに姿を隠した。そしてその後おかるがその穴から出てくることはなかったという。晴天で火照った体をいろんな意味で芯から冷やしてくれるエイドステーションだ。

塩島城跡 22km地点

廃スキー場がある牧寄エリアが終わると久しぶりに集落に戻ってくる。この塩島地区は実は私の家のすぐ近く。ここで紹介するのは戦国時代の城跡である。家のすぐ近くに戦いの跡地があったとは自分でもびっくりで、この大会をきっかけにして知るようになった。

さあ、少しだけ戦国時代にタイムスリップしてみよう。塩島は千国街道や善光寺へと続く交易路が通る重要な場所で、松川と姫川の合流地点にそびえる小高い丘は断崖に守られ天然の要塞となっていた。また、南東に広がる四ヶ庄(現在の白馬村)全体を見渡せる立地にあり、戦況の変化をいち早く察知して伝える役目も担っていた。

そしてこのエリアはちょうど信濃の武田と越後の上杉が勢力争いを繰り広げていた境目。1555年、武田軍の家臣である山県昌景に攻撃を受け、城主であった兄の勝雄は殺害されてしまう。生き延びた弟の祐輝は上杉謙信を頼って越後に避難した。後に武田氏から領地を返還してもらうことに成功するも、城やお寺は襲撃の際に全て焼き払われてしまい消失。

城のあったと思われる場所からは白馬村全体を見渡すことができ、ここから敵の進軍を察知したのかと想像を膨らませることができる。五竜岳もくっきり見えるいい場所だが、夏は蚊が多いので虫除けスプレーが必須だ。

ジャンプ競技場 42km地点

レースも後半に差し掛かり、村の中心部に帰ってきた。白馬村で長野オリンピックを象徴する建物といえばこれ。1998年に開催された長野オリンピックでジャンプとノルディック複合の競技場として利用された。ジャンプ団体が悲願の金メダルを獲得した様子が昨年、映画にもなり再び感動を呼んだ。

一般の人も有料で見学することができ、リフトとエレベーターで選手のスタート地点まで上がることができる。急斜面を滑降してジャンプするなんて外から見てても信じられない競技だが、実際に選手の目線になってみると人間離れした選手のすごさがより一層感じられる。グリーンシーズンも運転しており、一日の中で選手が練習する時間と一般に開放する時間が分けられている。日本を代表する選手が飛ぶ様子を間近でみることができる贅沢な観光スポットだ。

八方尾根 45km地点付近

50kmの長い旅路もついにゴールが見えてきた。ジャンプ競技場を通過するとすぐそこにはゴールの八方温泉が! しかし、このままゴールに向かわせてくれないのがこのレースの嫌らしくも面白いところ。ゴールゲートを横目に八方のスキー場を駆け上って駆け下るのだ。リフトで登ってスキーで降ったら一瞬だし最高に楽しいのに。そんなことを思いながら最後の体力を振り絞ってただ足を動かすのみ。おそらくリフトやスキーなど文明のありがたみを再確認してもらうためのコース設定なのだろう(笑)。

ここを走って登って下りる……足はガクガクだ

そんな八方尾根スキー場で毎年開催されている伝統のスキー大会が「八方尾根リーゼンスラローム大会」である。白馬村のスキー文化を発展させた福岡孝之らが戦後に始めた大会で、来年でなんと77回目の開催を迎える。ガチのアルペンレーサーから年に数回しか滑らないような趣味スキーヤーまで幅広いジャンルの人が参加する独特の大会だ。コースの長さと選手間のレベルの違いによって前の選手を追い抜いてゴールするという、普通のスキーレースでは考えられない珍現象も起こるんだとか。来年は自分も参加してみたいと思う。

ゴール

ゲレンデの一気下りで足もしっかりボロボロになったところでやっとゴール。長旅お疲れ様。距離50km、標高差2800m という登山なら泊りがけで行くような行程をトップ選手は4時間半で帰ってきてしまうのだから恐れ入る。

気になった区間だけでも歩いて散策してみるのもおすすめ。紅葉もそろそろ始まるので楽しさ倍増のこれからの季節。ぜひお試しあれ。

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