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商店街は「政策」によって生まれてきたもの〜地域活性のための商店街再生について話そう・前編


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以下、文章はありません。本記事に賛同していただける方はこちらの記事をご購入いただき、投げ銭をいただけると大変うれしいです!ローカルツーリズム株式会社では、ご縁をいただいて大阪市の梅田にほど近い中津の商店街に投資をし、地域を盛り上げる取り組みを始めることになりました。商店街に関わるにあたり、「商店街はなぜ滅びるのか〜社会・政治・経済史から探る再生の道」を読んだ糀屋総一朗が、ぜひ著者の新雅史先生にお話を聞きたいと取材のお願いをし、中津商店街でのまちあるきと取材が実現しました。

「なぜうちはここで商売を?」が原点に

糀屋総一朗(以下、――):本日はありがとうございます。中津商店街に関わることになったこともあり、今回はわざわざ先生にも中津にご足労いただき現地を見ていただきました。著書を読んで、商店街のことについてぜひお話を伺いたいと思っていたんです。

まずは、新先生が商店街のことにご興味を持たれたのはどういった経緯なのか、プロフィールも含めてお伺いできればと。

新雅史氏(以下、新):僕は福岡県の北九州市小倉で、酒屋の息子として育ちました。僕の父は、小倉の中心地の酒屋で次男として育ったのですが、長男が酒屋を引き継ぐということで、父は実家を出て商売することになりました。当時、酒屋を新規に出店する際は、近隣の酒屋とは一定の距離を空ける必要がありました。父親は、酒屋が出店できる場所を探し回って、小倉駅から車で10分離れた場所で商売を始めたのです。

というわけで私の家族は、地元ではない場所で酒屋を始めたのですが、酒屋は冠婚葬祭の時に注文が入ることが多く、必然的に地元の人たちの動向がわかるようになりました。

中津の商店街を歩きつつ、お話をうかがいました

そして北九州の酒屋は、その多くが店先で飲める「角打ち」をやっていました。うちの店も例外ではなく、地元の人がたくさん飲みに来ていました。我が家はもともと地元ではないのに、地元の人以上に地域の実情に詳しいという、なんとも不思議な距離感で日々過ごしていました。よそ者が商売を通じて地域のことを知る——いま考えれば、それはとても面白いことだったと思います。

こうした”面白さ”が、中学、高校の頃からさまざまな疑問に変換されるようになりました。「なぜ親はここで商売するようになったんだろう?」とか「なんで住んでいる場所よりも、店舗の方が広いんだろう?」とか「なぜ父は肺が悪いのに、角打ちをやって、タバコを吸っているおじさんの相手をしないといけないんだろう?」。そんな疑問を持つように徐々になったのです。

――そういった疑問をお持ちだったので、大学でも学んだのでしょうか?

新:いえ、そこは全然関係なく、明治大学では法学部に入学しました。家族経営の家で育ったからか、サラリーマンへのあこがれがあったんです(笑)。でも次第に社会学に興味を持つようになり、大学院にも進学しました。やはり家での商売の影響が大きいと思います。

――スポーツ社会学に関する論文を執筆していらっしゃいますよね。

新:はい、最初はそちらの方に興味がありました。ですが30歳をすぎて「企業スポーツの歴史社会学-「東洋の魔女」を中心に」(2004)の論文を執筆した後、自分の父の半生を理解していきたいと思うようになりました。商売をやっていたからこそ社会に対する疑問を持てたので、それを書かないといけないのでは?という気持ちもありました。

実家の酒屋は僕が上京した後、1994年に酒屋をやめてコンビニに転換しています。80年代後半から90年代は、非常に多くの酒屋がコンビニに転換しました。なぜ日本のコンビニは酒屋から転換したのか、それを理解するにはその前段の話を理解しないといけない。そういう流れで、商店街についてしっかりと調べることになりました。

国の政策として生まれてきた「商店街」

――本の中でも言及がありましたが、改めて商店街の成り立ちについて教えていただけますか。

新:もともと平安時代の頃から人が集まるところには「市」がありましたが、それと商店街は別物です。商店街とは近代の産物であり、政策とつながったものなのです。

――どういった政策のもとに商店街は生まれてきたのでしょうか。

新:ひとつは、20世紀前半の時期に農村にいた人が急激に都市に移動してきて、社会全体が都市社会になってきたことが挙げられます。都市が形成されていく際に、自分の住んでいるエリアに生活を支える商いのエリアが必要とされてきたのです。その際、一番問題になるのは食べ物でした。野菜、肉、魚などは腐りやすく、個別で流通を担えるかというと難しい状態でした。

昔は酒屋にも距離制限がありました

さらに、同時期の問題として、例えば東北の農家が東京に野菜を送ったとします。送ったはいいけれど、東京の商売人が「半分腐っていた」といって代金を半分しか支払わないということが頻発していました。作って送った側としては確かめようもないし、実入りが減って困るわけです。こうしたことが起こると作り手が商売人を信用しなくなり、供給が不安定になり、ものの値段の上下動が激しくなってしまいます。そこで、行政が介入して卸売市場を作り、値付けを見える化しようとしました。

卸売市場から野菜や肉、魚などが適正な価格で仕入れられ、一般の消費者に届けられるようになった時期は、商店街の成立とも重なっています。公設の小売市場などはそれ以前から設置されていましたが、そこまで買いに行くのが大変なため、卸売市場から仕入れる小売店が集まるエリアを住んでいる場所の近くに作る動きが広がりました。また、百貨店のようにその場所で過ごせる娯楽性や、売主同士の連携を強める協同組合の考えも取り入れられ、現在まで続く商店街の形が作られていったのです。

「市場」と「商店街」は似て非なるもの

――単に零細店舗が集まっている場所と、商店街というのは別物と考えていいのでしょうか。

新:もともと20世紀初めに大量に農村から人が都市に流入した際に、彼らが生活するために始めたのが零細小売業でした。しかし経験もなく見よう見まねで始めることも多く、有象無象の規模の小さい小売が増えすぎていました。ゴミゴミした空間となり、近代化を推し進めたい行政からすると悩みの種でもありました。ですが、商売人側はできるだけ狭く、家賃の安くゴミゴミしたところでやりたいという思いがあります。その利益と要望のぶつかり合いの中で、学者たちが中心になって作った概念が商店街です。

商店街と市場は異なるものです。市場は、一時的な店の集まり、簡易的な店の集まりを指します。例えば、神社の境内や参道に一時的にお店(露店)が立ったり、あるいは河川のそばに簡易な店が立つ。こうした存在が市場だったわけです。出身地の北九州市には旦過市場という有名な市場がありますが、簡易につくられていて、1店舗あたりの床面積が限りなく狭く、有象無象のものを売っているという点で、市場と呼ぶにふさわしい場所と言えます。新宿西口の思い出横丁などもそれに当たるかと思います。

商店街と市場は似て非なるもの

対して商店街は、1店舗1店舗がある程度の床面積を持っています。商店街では同じエリアに電気屋、酒屋、肉屋、魚屋は1軒ずつなどと計算して作られ、店舗の2、3階が家になっているのも、商店街の特徴です。

――なるほど。一見合理性があるように見える商店街ですが、できてから100年足らずで立ち行かなくなっているところも多いですよね。

新:そうなんです。商店街の店舗は家族経営をしているところが多く、子供が商売を継がないとなった時に、引き継ぎ先はどこなの?という問題が発生してきます。30坪などそれなりの規模でやっている前提だと、権利だけが残って実際に商売をしていないのが目立つようになります。それがシャッター商店街です。

対して、東京の中心などで、2〜3坪の店舗でマイクロビジネスをしている場所では、商店街的な問題は起きません。先ほども言った新宿の思い出横丁や、吉祥地のハモニカ横丁などがそうですね。1坪あたりの利益が高く、店舗の回転が早く、狭いので住宅としての用途はありません。そのため常に誰かが商売をする活気ある場所になっています。

中津商店街には小規模な新しい店も増えています

魅力のある商店街とはどんなものか

――商店街には、必ずしも商売を続けていきたい人ばかりがいるわけではないということですね。

新:その通りです。商店街というと、商売をやるために一致団結しているイメージがありますが、もちろんそういう場所もありますが、それだけではないということです。

ネットがなかった時代…といってもつい2〜30年ほど前までは、買い物の手段が限られていました。酒類販売免許が緩和される1989年ごろまでは、スーパーマーケットでのお酒の販売もできない状態でした。そのため、URなどの大規模な公団住宅の中には、計画的に商店街エリアが設けられ、酒屋や本屋、花屋などが並んでいました。こういったところは、今後存続は厳しいだろうと考えています。そもそも「必要に迫られる」からそこで買うのであって、わざわざ外から訪れる理由、場所の魅力もないからです。

――それを考えると、都市部の中心街にある商店街はわざわざ行きたいという場所が多いかもですね。

新:まさにです。大阪の梅田や天王寺、住吉などには歴史込みで独自の魅力がある商店街があります。わざわざ訪れたくなる魅力があり、徒歩圏内に暮らしやすい街があり、個人商店が成り立ちやすい条件が揃っているところが多いですね。

逆に郊外、整備された住宅街などにある商店街は厳しいです。イオンなどの大規模店舗が出店し、客足は遠のく一方。国道沿いのチェーン店に人が流れてしまう状況がどの地域でも起こっています。

これは、各地で起こっている空き家問題とも似ています。そもそも全然魅力のない空き家をどうにかしようといっても無理があるのと一緒で、その場所に魅力がないのに商店街を活性化しよう、と言うだけ言ってもいい解決策が見つかるはずはありません

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場所の魅力がなければ商店街を活性化しても意味がないーー。では、それでもやはり地域創生のために商店街の活性化を望む場合は、どのような施策を取ればいいのでしょうか?後編ではその解決策について探ります。

後編はこちら!

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