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福岡県宗像市大島へ移住した画家 変化を味わう5カ月目

月1回のペースでお送りする、「Oh!! 島セキララ記」。京都から福岡県宗像市の大島に移住した井口真理子さんが、島に移っての「セキララ」な日常を綴ります。移住から5カ月が経ち、徐々に島になじんでくると同時に感じることについて綴ってくれました。

「変化を味わえる」ようになってきた

大島に移住して、約5ヶ月が経過した。
約5ヶ月前、私は京都にいて、鴨川を自転車で走ったり散歩したり、行きつけのカフェに行ったり、お寺や神社のある近所を毎日通ったりしていた。

ベランダから港を眺めて洗濯物を干したり、潮風の匂いに包まれて海岸沿いを夕暮れ時に散歩したり、日本海を一望できる絶景スポットまでスーパーカブを走らせたり。島猫と戯れたり。ご近所の方に獲れたての魚をわけてもらったり。

そんな、京都にいた頃には非日常だったことが、日常に変わった。

移住してまもない頃には環境の変化に戸惑ったが、やがてその変化を楽しみ、いまや、変化を味わえる、そんな状況にいる。

楽しむ、という段階では、その内容にまずは身を浸す、というような感覚がある。

大島でいえば、自然環境の違い、生活習慣の違い、人間関係の違いなどを、まずは心身に染めてみる。

味わう、というのはどういうことか。それは変化した内容を咀嚼し、飲み込んでいくことだ。その内容というのは、良いこともあれば、良くないこともある。思いがけないこともあり、思い通りに行かないこともある。

時の蓄積によって、そうした味わいに奥行きが生まれる。
どんな環境にも、そうした彩豊かな内容が詰まっている。

大島での生活で言えば、現在600名ほどの人口で、居住地もある程度港側に密集しているため、大半の方は顔見知りである。ここが、都市部での環境と大きく異なるところで、散歩していても、ほぼ全員が知り合い状態となる。
そこでおのずと挨拶が生まれる親近感を、みんなが共有している。

ただ、都市部では当たり前にあった、匿名感の共有はない。
誰も自分のことを知らない街を散歩したりする、そうした逆ベクトルの心地よさや気楽さは、こうした集落にはなかなか見られない。それも味わいの一つだろう。

一方、そうした人間関係の匿名性が低いからこそ、自然との匿名性は高く感じる。
ちょっと山間に足を伸ばせば、あまり人気はなく、割りに手付かずな自然たちがのびのびと生息している、ある種のよそよそしさがある。都市部、特に自分が暮らしていた京都のような、人間の生活や都合に合わせた、あるいは文化的な営みによって人工的に作られた自然環境にはない、非親近感、匿名感がある。

野性味のある大島の自然は、都市部の雑踏と同じ匿名性を感じる

コンパクトな島だからこそ生まれるインパクト

10月もあっという間に過ぎていった。月初と月末では1カ月以上の開きを感じるほどだ。月初での大きな出来事でいえば、「みあれ祭」がある。
先月号にも書いたとおり、みあれ祭史上初となる、アート大漁旗「MOVE ON」を制作し、10月1日、お祭り当日に漁船に掲げてもらった。自身の創作支柱である「NEW PEOPLE」が宗像三女神のお供をすべく、玄界灘を疾走した記念すべき日となった。

その後、「あの旗をみたよ」という目撃情報が島各所から寄せられ、インパクトを生んでいることに手応えを感じている。

以前個人noteにも書いたとおり島というコンパクトさが、アートのインパクトをより強くする。コンパクトだから、皆に届く。また今回のアート大漁旗プロジェクトは島の方々のご協力なくして実現し得ず、そうした協働による成功も特筆すべき点だ。

振り返ると、企画・制作するだけでなく、実現に向けた交流や交渉、関係構築とアフターケアに奔走することもプロジェクトの一部となっていった。
制作中は対作品の対話になるが、プロジェクト内で作品が実装され、自走していくには対大勢の対話が必要になるということだ。それには作者としてのアーティストと、発信者としてのアーティストという、二つのバランス感覚が大切になってくる。

当日は第二宮一丸様に掲げていただいた(撮影:Yasuyuki Higuchi)

今後も、こうした大島とのコラボだからこそ生まれる作品や展開を広げていきたいと考えている。

大島の石から生まれる「SPISTONE」

大島とのコラボ、という文脈つづきで、10月は石作品も制作した。
「SPISTONE」=「スピストーン」と読む、自身の石作品シリーズである。
先述の「NEW PEPLE」が体内から放出する創造的妖精「SPITUNE」=「スピチューン」が石に転生している、という作品だ。

もともとこの石作品は、京都時代にセルフセラピーのために作っていたものだ。

直観的に「ピン!」とくる、天文学的確率で出会った石を拾い、その石の顔を見つけて描き出す。
成人女性が平日の真昼間、鴨川の亀石に腰掛け、拾った石を眺めてニヤニヤしている姿は、孤独な不審者として周囲の目に映ったことだろう。数年後、離島で同じように石を拾い、れっきとしたアート作品としてそれらを制作することになるとは、なんとも感慨深い。

大島の石は特徴的で、玄界灘側と、日本海側で形状が大きく異なる。
玄界灘側、海岸沿いで採れる石は、穴が空いているものが多い。また形も角ばったものが多いのに対し、日本海側、特に岩瀬海岸で採れる石は「あずき石」と呼ばれ、白い斑点がついた丸いものが多い。

採取した石100個を、大小ひとつずつ、まずは洗浄する。
乾燥後、石とひとつずつ対話し、どこが顔にあたるかを見極め、下地を塗る。
個別にグラデーションベースを施し、瞳とハイライトを描いて、画竜点睛。
出来上がった石たちはイノセントな輝きで私を癒してくれた。

組み合わせ無限大な、SPISTONE

ビジネスパートナーの糀屋さんともこの石作品について、いろいろな展開方法を議論している。大島で特別な展示場所を用意し、祠に見立てるといったものや、リアルとバーチャルを繋ぐものとしての実験などなど。
楽しみがどんどん広がっていく。

「みんなで地域に関わっていく」空気に触れて

その他アクティビティとして、人生初、「敬老会」なるものに出演した。
年に一度、島のおじいちゃん、おばあちゃんたちを招待し、島の皆さんが様々な演芸でもてなす会である。
きっかけは、島のママさんからの「一緒に踊りませんか」というお誘いで、私は気軽に「いいですよ」と返事したのだった。何らかの形で発表する旨は聞いていたが、結果的に小中一貫校である大島学園のホールで、きちんとしたステージに立つということが分かった。

正直、京都にいた頃の自分だったら、絶対に参加していなかったと思う(笑)。
まず、京都時代の日常において、近所のご年配の方々との交流というものがほぼないし、そういう類のものはきっと面倒と感じただろう。
それが、フラダンスの練習も発表も、すんなりと受け入れて楽しんでいる自分がいるのだから、不思議である。これはきっと、大島という場所がそうさせているのだろう。

自分も地域に溶け込んでいくという感覚がある

日常的に島の皆さんと挨拶したり、会話を交わしたり。
おじいちゃん・おばあちゃんたちがフレンドリーで気軽に話せる人が多く、人間関係というか、関わりの濃度が高い。都市部では、「地域との関わり」なんて文句を見ると、「わざわざやろう」という気に持っていくまでの見えないハードルを前に、躊躇することの方が多い。ほぼ面識のない人たちに向けて、「フラダンスを踊ろうかな」とは、まずならない。今回、自然と参加できたのは、一緒に出演した島のママさんたちも含め、全体的に「みんなで地域に関わっていく」という自然な気が流れていたからだと思う。知り合いのおじいちゃん・おばあちゃんが喜んでくれたら嬉しいし、自分たちも楽しい、というような。

ここでも、「変化した内容を咀嚼し、飲み込んでいく」という、自身の変化を味わうこととなった。


変化を味わう、というところの余談としては、島猫たちとの距離がだんだん縮まってきている。
朝、漁港を散歩していて、島猫の朝会に遭遇したこともある。
その時は全身黒のスウェットを身に纏い、「にゃ〜」と言いながら歩いていたから、黒猫の新入りがやってきたと思われたのかもしれない。
猫たちに囲まれて、朝日を浴びながら一緒に海岸をぼーっと眺めるのが、至福のひとときだった。

人がいてもマイペースにくつろぐ猫たち

我が家の周辺に生息している島猫たちとも仲良くなってきた。
毎日遊びにくる(というか縄張りのために来ている)猫もいる。おやつをやったり、手製のおもちゃで遊んだりする。私の足もとで、お腹を見せて日向ぼっこをする姿を見て、平和の極みを感じる。猫はずっと見ていても飽きない。
そんな、島猫の観察が目下の趣味となっている。

最近、夜はすっかり寒くなってきた。
特に冷える夜は、猫たちはどうしているだろうかと、気になってしまう。
時々窓を開けては、「にゃ〜」と鳴いてみる。
静かな星空の下で、どこからか返事が聞こえるような気がする。

2022年11月3日
井口真理子

(トップ画像撮影:Yasuyuki Higuchi)

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