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心が揺れたら、ぜんぶ恋。

心が揺れる。上に舞い上がったり、下に突き落とされたり、横に揺さぶられたり。色々な揺れ方がある。パーマをかけたばかりの髪の毛の先がくるりと上を向いていたり、澄んだ茶色の目の奥に涙が溜まっているのを見つけたり。安穏と生きていたら不意に思いっきり殴られたり、かと思えば温かく包み込まれたり。生きるということは揺れるということなのではないかと思うほど、無防備な心でいると人々は私たちを揺らしにかかってくる。

色々な揺れがある中で、どれが恋で恋じゃないとか、どれが愛であいじゃないとか、そんなことを決めてしまうのはあまりにももったいない。揺れにも、色々な種類がある。

☆誰かを見て心が高鳴って、その高鳴り故に今までの自分を忘れてしまって話すこともできなくなること。
☆いつでもどんなときでも心の傍にいてくれる彼のことを想うと離れていても自分は大丈夫だと思えること。

こういう感情ももちろん恋だし、

☆言葉のない世界で人差し指だけ相手に触れ合おうとして触れられなくて涙してそのもどかしい距離感に二人で溺れていくこと。
☆秘密の共有や罪の共有で二人きりの世界をつくること。
☆痛みや傷の匂いに惹かれて相手を救うのは自分がいいと思うこと。
☆言葉の暴力を愛と勘違いして離れられなくなること。

もしかしたら、世界で一つのあなたの恋に、誰かが「そんなのやめておきなよ」なんて言ってくるかもしれない。それはもしかしたら本当にあなたのためを思って言っていることなのかもしれない。でも、彼らは、あなたがあなただけのいのちを終えるとき、その恋で不完全燃焼のまま終わったことの責任をとってくれるだろうか。相手に伝えたくて仕方なかった言葉を、相手に伝えてくれるだろうか。もしやめたとして、進んだとして、彼らは、あなたの心のケアを、一生してくれるのだろうか。そんなことはあり得ない。あなたの人生は、あなたの心の揺れは、あなただけの大切なものだ。

もしその揺れが純粋な揺れじゃなかったとして、それがなんだ。
愛に似せた依存だったとして、執着だったとして、それのどこがわるい。
夢見過ぎで、地に足が着いていなくて、現実的じゃなくても、知ったことか。

そんな気持ちでいて、大丈夫。
すべての気持ちに100パーセントの純度なんてめったに存在するものではないし、
なにより気持ちの純度なんてものを決めるのはあなた以外の人ではない。
あなたが相手を、何かを、好きなら好きでいいし、きらいならきらいでかまわない。
好きときらいの間くらいでゆらゆら揺れていて、どうしようもなくなっていても、人生そういうこともある。
「恋」なんて言葉では到底とらえきれない心の揺れを、ときに泣きたくなるくらいに感じ取って、今日もあなただけの、わたしだけの、いのちを、生きていこう。

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