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O73. 心のシャッターを切った瞬間は写真に残らない

bonsoir!🇫🇷 毎週金曜日更新のフランス滞在記をお届けします。
滞在記を書くうえで、ときどき不思議な「空白」に出会うことがある。今日は徒然そのことについて書いてみたい。

わたしの滞在記の書き方というのは、写真や、SNSにつづった自分の言葉を手がかりに、その当時の自分のことを推察していく、というものだ。滞在期間中、わたしは本当にたくさんの写真を撮った。その写真一枚一枚にじっくりと入り込みながら、

・その時はどんな状況だったのか。
・その時わたしはどんな気持ちでシャッターを切ったのか
・その時わたしは世界からどんな印象を受け取っていたのか

ということを当時の自分に尋ねていく。そこから出てくるものは、今現在、時を超えて滞在記を書いている自分自身ともシンクロしていることも多く、とても面白い。過去の自分の器では追いつかず、こぼれ落ちそのままになって残された忘れものを拾いにいくような感覚だ。


しかしながら、そうやって滞在記を書く中でポコっと「空白」みたいなゾーンにはまり込むことがしばしば生じる。それはまるで、ある一定のリズム感を持って気持ちよく道を歩いていたのに、後ろ足が急にくぼみに取られてしまうかのようだ。今まで歩いていた滑らかな路面の道の中にザラザラとした違和感のある部分を見つけてしまうような、とでも言ったらいいのだろうか。

これって何なのだろう。
突如として現れるこのエアーポケットのようなものの正体とは何なのだろう。
そういつも思っていた。

また、思い出しながら書く、ということで受け取った印象のフレッシュさはリアルタイムな発信より落ちる。そういう意味では、滞在記を書くというのは本人の中での二次創作と言ってもいいだろう。

ではなぜ書くのだろうと思いながら、エアーポケット・空白を見つめてみると、そこにあるのは心のシャッターを切った瞬間ではないかと最近思い始めた。目の前の現状に強い印象を抱く時、無意識的に写真のシャッターを切って、思い出として残そうとする。わたしが滞在記で辿っていたのはそういう過去の自分から未来の自分へと投げかけられたものたちだ。しかし、本当に自分の本質をつくような体験というのは、手に持ったカメラやスマホのシャッターを切ることができない。ただただその印象や感覚と一緒にいて、言葉を失うのだ。

わたしがときどき出会う空白の正体とはこれのことではないか。そして今のわたしはその空白の瞬間をどうやって思い出したら良いのか、特にアイデアを持ち合わせいない。けれど、それでいいのかもしれない。ここはあまりいじくり回さない方がいい場所なのかもしれないと思うようになってきた。

写真に残っている手で意図を持ってシャッターを切った瞬間を一つずつ丁寧に感じていくと、自然とその奥に座する写真には残らない、「心のシャッターを切った瞬間」との交流が始まる気がするのだ。人間の心の構造として、一度形としてクリアに認識してしまったものからは離れていく。フランス滞在記を書き進める上でそこに寂しさを覚える瞬間がときどきあるけれど、その奥に形には残ることのなかったとても強い印象という手付かずの自然のようなものに心惹かれる気持ちも出てきた。空白からほのかに香ってくるメッセージに新鮮さと懐かしさを覚えている。

今日はその「空白」がポコっとやってきたので、思いだそう、記憶を辿ろうという意識を緩めて、徒然になるままに書いてみた。ときどきこういうモードで書いてみるのもいいのかもしれない。

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