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ゆらぎたい、ゆらがない|裏の畑美術部・バイオグラフィーワーク 【太陽期①21-28歳】

ちょっと前のことになりますが、4月18日は月に一度開催の、シュタイナー教育の絵の教室「裏の畑美術部」でした。
2月から水彩の時間では、バイオグラフィーワークを使って惑星を描くことに取り組み始めました。

古代では人間の発達は7の倍数で進んでいき、それが惑星のならびに対応しているという考えがありました。バイオグラフィーとは、伝記という意味。バイオグラフィーワークでは、7の倍数の年齢ごとに月(は正しくは衛星ですが)から土星までの惑星を当てはめて自分の人生を振り返っていくということを行って行きます。

第四回目のこの日は、「太陽期」について。

太陽期は21〜42歳頃ととても長いのですが、(7年期×3つ分)この日は21-28歳までの期間を振り返って絵を描いていきました。ちなみに、以前バイオグラフィー講座を受講した際になぜこんなに太陽期が長いのか質問をしたことがあるのですが、シュタイナーのカルマ論によると、死後の輪廻で惑星を巡るとき、太陽に最も長く滞在するから、なのだとか。

21歳まで自分が体験してきたこと。21歳から28歳は、それを持って世界とどう関わっていくのか、という時期です。

わたしは21歳までは「世界と距離をとってきた」と感じていました。辛いことはたくさんあれど、なんとか順応して来れてきてしまって、学校でも家でもそつなく振る舞いつつもどこかで「これは本当の自分とは違う」という感覚がありました。とりあえずみんなと一緒にレールに乗って、楽しそうにしてみるものの、どこか自分だけよそ者のような感じがしていました。歳の割に哀愁が出過ぎだとよく言われていましたが、きっと気だるそうな若者だったのではないでしょうか・・(汗)。

わたしの作品。グラデーデーションを作りながらも、真の赤い部分は絶対に交わらない!という意識の強さを感じる赤が印象的。

しかし21歳になると、途端に「こんなのおかしい!もっと違う世界があるはずだ!」というモードに入って、急に活発になりました。当時、理学療法士として社会に出たてほやほやだったのですが、「こんなに義務的に運動する環境は嫌だ!」「義務感ではなく、美しさや楽しさでつながり合える方法があるはずだ!」と休日も休み時間もなく、あらゆる勉強会や学会に出まくり、特に芸術療法の勉強に燃えていたと思います。そして27歳で勉強会で知り合った男性(夫)と結婚をし、新たな人生が始まったのでした。

とにかくあらゆることに燃えていたのだけれど、反面社会というものはそんなに易々と変わるものではないということも痛感して、理想と現実のギャップに落ち込んだり、それをまた原動力として動き回ったりと、とにかく忙しい時期でした。いつもあのスイッチバックはなんだったんだろう・・と回想していたのですが、そうか、太陽期に入ったからなのか・・。

味わい深い。みんなの21歳-28歳


後半はフォルメンです。

円の中にひたすら対称な角を作っていく

ここのところ、引越しや娘の小学校行きしぶりなどで揺らいでいた自我が角を描くたびにすっすっとおさまっていく様で気持ちが良かった。

違う色で左右対称を取るのはむずかしい

スッスッと角を描くたびに自我が落ち着いてくると、「あぁ本当はもっと揺らぎたかったんだな」という想いが湧いた。そうそう、周りが感情的だったり揺らいでいたりすると「わたしはしっかりしなきゃ」「冷静でいなきゃ」と思ってしまって揺らぐことができない。21歳までの自分とおんなじだ。

でも36歳になった今は「本当は揺らぎたいけど揺らげなかったんだよね」と周りを信頼してちょっとずつ言えるようになりました。ちょっとだけ、大人になったのでしょうか。

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