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影を認識しながら自分の真ん中にいる|裏の畑Body work部

月に一度のシュタイナーの絵の教室「裏の畑」の前半にて、Body work講座を担当しています。後半の絵の教室の記事はこちら↓。


この講座では季節の仕組みと、それにちなんだ体の使い方を学んでいきます。

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二十四節気では、今は秋分の次の寒露。明日からはいよいよ霜降の時期に入りますが、立冬が目前に迫ってきます。
秋分から冬至にかけて、太陽の力が弱くなり、空気は乾燥して冷え、植物は枯れて硬くなっていきます。影が強くなるこの時期は、ミカエルが影と戦う時期であるとシュタイナーも言っています。

そこで、今回は「影」をテーマとして扱うことにしました。

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「影」と言われるとどんなイメージを持つでしょうか?

暗くて怖いもの?
見たくないもの?
光があるから生じるもの?
ついてくるもの?

影は、どちらかというと光の対極にあるネガティブなものとして捉えられがちですが、ユング心理学では自我が認識できない全てのものを「影」として扱います。また、影の理解は一人の人間が成熟していく上では欠かせないものです。

人間は生きていく上で自我を持ちます。それは「これが自分である」というスポットライトのようなもの。そして、そのスポットライトが照らすことができるのはごく限られたエリアだけです。人間の意識は構造上、影の全ての領域を認識できないのです。

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だから、自分と違ったスポットライトを持つ他者の存在が必要なのです。他者はそのスポットライトで自分では見えない影の領域を照らしてくれます。

さて、影には大きく分けて二つの種類があります。想像しやすい方は黒い影。他者に嫌悪感を持つ時、その相手は自分の黒い影として現れています。
その逆に、相手に対しとてもカリスマ性や憧れを抱くとともに、自分にはとてもそんな風になれないなと思う時があります。そのような時、相手は白い影として現れています。いき過ぎた善という風にも言えるかもしれません。

写真に例えると、黒い影は逆光で顔が真っ黒になってしまって見えない状態。白い影は白飛びしてこちらもまた顔が見えない状態と言えます。どちらも光の量や光が当たる位置が適切でなかったりして、相手の顔がはっきりと見えていない状態です。

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そしてどちらの影も自分から引き剥がそうとするとものすごい勢いで追いかけてきます。だから、自分にはどちらの影も存在するのだな、ということをわかりながらその真ん中に立つ、という態度が影との対話には求められます。

タオの心構えですね。

というわけで今日は、丹田を意識したワークを行いました。あらゆる影と相対し、自分が揺さぶられたとしてもしっかりと真ん中に戻ってこれるように、どっしりと腹を据えられるワークをみんなで行ってみました。そして最後には、アクティブイマジネーションという手法を使い、それぞれが自分の影だと思う存在とイメージの中で対話する時間を持ちました。

他者は自分の思い通りにはならない。
けれど、他者がいることで自分の思いもよらない部分や可能性に触れたりできるもの。収穫という一大イベントが終わり、寒くなってきて徐々に外側から内側へ意識が向いてくる秋は、そんな他者との間で紡がれる可能性に目を向けるのにとてもよい季節です。

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十牛図の第四図。生き生きとした生命力を放つ真っ黒い牛は影を表している。

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やがては戦っていたその牛の背に乗り、自分の源へと帰り着く。

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