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人生の旅の目的地は死ですけど、何か?

以前よく見ていた、ある旅行系Youtuber女子様が、ある時ハイソなホテルに泊まって備品とかを確認紹介してるときに

「いつも思うんだけど、このレポート用紙みたいなの、何のために置いてあるんだろう? メモパッドにしては大きすぎるし??」

ハル Daily(アバウト引用)

とかコメントしてるのを聞いて、アングリ・ポカーンとなったことがある。
もうお分かりですね?
そうです、ホテル(チェーン)専用のオリジナル・レターパッドです。(多分、お揃いの封筒も)
ん〜。
便箋とか封筒って百均でもたくさん売られてるし、女子小学生とか女子中学生なんかもよく使ってるはずだけど。。。
ああいうのとはかなり趣が違うしホテルのロゴが入ってるから、ピンと来なかったとか?>ハルさん

ちなみに、ある程度の年齢になっても、子供の頃に友達からもらった手紙類を大事に保管してるっていう女性は多いんじゃないかな。

一方、テキストベースっていうかメールとかLINEとかそういったデジタル系の記録も保存してる人はいるかもしれないけれども、まさかプリントアウトして箱に入れてリボンかけて⋯⋯っていうことはあんまないだろうね。

そこんところに、同じ文字ベースのやり取りであっても、実感というか、リアリティの違いがあるような気がする。

そのことは、ひいては「生きてること」そのものにもつながっているかもしれない。
何となく、生きている実感がない、乏しい
生きてる意味がわからない
生きていることに疲れた

で、希死念慮とか自死念慮に取り憑かれたりして。

人生は旅

これは昔からよく言われてることで、単なる比喩ではない。
そう、人生は死と云う終着点・目的地がある旅なんだし。
それはみんなそうで、一人として例外はいない。

なので、いきなり終着点を目指しちゃうのが、そういった直結系の「念慮」と言えるかも。

途中経過、途中プロセスがポーンと飛んじゃうっていうか、抜け落ちちゃう。
これも現代生活の特徴と絡んでる。

自分は、今ここで生きにくい、暮らしにくい。
誰しもそう感じることってあるよね。
だったら、次の場所に旅していけばいいんじゃない?
そこに何があるかわからない、その期待感や不安や憧れや失望感を重ねていけばいいんだよ。
そのプロセスそのものが生きるってことなんだから。
ところが、その「プロセス」が、今の世の中、「君たちはこう生きるべきだ」的なお粗末な定番シリアルになっちゃってるんで、そこんところを「自分自身の経験」というマジなプロセスと取り違えてる人が多すぎるような気がしてならない。

確かに、まだ被扶養者な子供たちや未成年で、親の監督が義務付けられてるような、そういう年齢の間はほんとに不自由だと思う。
だからトー東みたいく家に居場所がないというか、家にいたくない子たちが集まるような街中の場所とか、あるいは子供たちが放課後の時間を過ごせるような場所を提供しているようなボランティア団体とかがあるんだろうけど、できたらそういうところに集まる子たちも実質的な「旅」ができたらいいよね。

世界各地で今も続いてる巡礼の伝統なんかも、そういう旅による「居場所シフト」願望が根のところにあるんじゃないかな。
ただ、拙者個人としては、あまり宗教色の濃い旅は、かえって精神的な自由度が限られてしまうような気がするんだけど、あなたはどう思います?

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