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ラ・フォンテーヌの「激流と大河」

前回の続きを書くために参考にしたい或る本を探す序でに、その辺に積み上げてある書籍類を片付けたりしてる途中で、たまたまそのうちの一冊をぱっと開いてみると、「奔流と大川」という寓話が出てきて、ちょっとびっくりしたんだけど、まさに前回のラッセルの文章とピッタリ呼応する内容でした。

拙者の場合、物を書いているときにはこういう偶然の一致が結構よくあるのだが、無意識の働きなのか、それとも何か神秘的なマッチング作用があるのか、少々興味深いところである。

ということで、ラ・フォンテーヌのからの引用です。
(見つけたのは宇野一雄氏訳の岩波文庫『寓話(下)』だが、ちょっとわかりにくい訳なので、改めて訳してみたところ、なにしろ江戸時代の文章で古語が混じってるのでデカい辞書を引きずり回ったり、的語を熟考したりしている間に1時間もかかってしまったす。どうか心して読んでください。w)

激流と大河

囂々と物凄い音を立てる激流が、
山々の間を波打ちながら流れ下っていた。
それを前にした者はみんな逃げ去るものの、恐怖が後を追いかけてくる。
何しろあたり一帯に地響きを立てているのだ。
そんな空恐ろしい自然の障壁を
乗り越えて行こうなんていう旅人はいなかった。
ところがここに一人だけ、盗賊どもに出会した者が進退極まり、
この脅威の流れに騎馬を踏み込ませ、向こう岸へと渡って逃げた。
激流は威嚇するような轟音を立てるだけで、それほど深くはなかったのだ。
どうなることかと思ったが、やれやれ無事に済んだ。
おかげで勇気が出てきたものの、
盗賊どもは相変わらず追ってくる。
やがて彼は河岸にぶつかった。
その河はといえば、
穏やかに眠っているような平和で静かな流れに見えた。
とりあえず簡単に渡れるだろうと思った。
岸の斜面も緩やかだし、砂地も清らかで綺麗だった。
馬を川の中へと進めた彼は、
盗賊からは逃げおおせたが、馬もろとも暗い波に飲み込まれてしまった。
人馬ともども三途の川の水を飲み、
不運にもそこを泳ぎ渡ろうとするあまり、
黄泉の国へと、この世ならぬ大河へと流されてしまったのだった。

人間も、むっつり黙っているやつの方が
やたらと騒ぎ立てるやつより、ずっと物騒なものだ。

ラ・フォンテーヌ『寓話』より:景丸 Jr. 訳


もちろん最後の二行がラ・フォンテーヌの教訓というか警句なわけだけど、それは二の次三の次。
この「激流」というのが、前回のエゴ絡みの魂の流れに、「大河」というのが大自然的な魂の流れに相当する、かな?
と考えると、実によくハマってるでしょ。

あとで原文を引用しますが、
「三途の川」と意訳したのは Styx スチュークス(ギリシャ神話で冥府を流れる川。渡守カロンの漕ぐ船に乗ってあの世へと運ばれる)。
「黄泉の国」は le séjour ténébreux(詩語で「常闇の国」「地獄」)。

どちらも日本の神話伝説とそっくりだよね。
世界各地の神話や伝説の類似性は、ユングの説が有名だけど、南方熊楠先生もその辺にもちゃんと注目して研究しておられましたね。

で、さらに以前ちょっと触れたレヴィ=ストロースの神話的思考論なんかと考え合わせると、こういうのは単なる想像的思考なんかじゃなく、この世の言葉や概念では表現できない真実の比喩的表現なんじゃないかというのがひしひしと現実味を帯びてくる。

科学思考法では比喩が十分活かせないんだよね、残念ながら。
例えば、最近寝床で眠る前にちびりちびりと再読してる『LIFESPAN(ライフスパン)』なんかは割とうまく比喩を用いているけど、あくまでも説明のための比喩だし。(とはいえ、彼らの思考法には創世神話的な要素がほんの少しかすっている感じがするので、そういう視点から丁寧に見直してみてます。)
そこんとこをちゃんと弁えてないと、科学万能主義みたいな幼稚なカルトか、その兄弟姉妹のスピリチュアリズムになっちゃう。

ちなみに、ここんところ「流れ」の話なんで、水についてもいろいろ見直してみてるんだけど、水って不思議な物質なんだよねー。
これだけ身近な物なのに、まだ科学的にも解明できてない面がたくさんあるっぽいし。
に加えて、哲学的思考法にも水概念や水イメージはまだまだ活かせる。
特に拙者が問題にしまくっている「存在様態」という面でね。


ということで、朗読と原文を引用しときます。


LE TORRENT ET LA RIVIÈRE.
Avec grand bruit et grand fracas
Un torrent tomboit des montagnes;
Tout fuyoit devant lui: l’horreur suivoit ses pas,
Il faisoit trembler les campagnes.
Nul voyageur n’osoit passer
Une barrière si puissante;
Un seul vit les voleurs; et, se sentant presser,
Il mit entre eux et lui cette onde menaçante.
Ce n’étoit que menace et bruit sans profondeur;
Notre homme enfin n’eut que la peur.
Ce succès lui donnant courage,
Et les mêmes voleurs le poursuivant toujours,
Il rencontra sur son passage
Une rivière dont le cours,
Image d’un sommeil doux, paisible et tranquille,
Lui fit croire d’abord ce trajet fort facile:
Point de bords escarpés, un sable pur et net.
Il entre; et son cheval le met
A couvert des voleurs, mais non de l’onde noire:
Tous deux au Styx allèrent boire;
Tous deux, à nager malheureux,
Allèrent traverser, au séjour ténébreux,
Bien d’autres fleuves que les nôtres.

Les gens sans bruit sont dangereux;
Il n’en est pas ainsi des autres.

Jean de la Fontaine “Fables” 1668







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