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「死の恐怖」との付き合い方(2)


さて、気を取り直して、引き続き後半を引用しましょう。

それを克服する最善の方法は、自分の関心を徐々に広げ、私利私欲を捨ててゆくことだ。少なくとも私にはそう思える。そうすれば、少しずつエゴの壁が崩れ、人生が普遍的な生命の宇宙へと溶けいってゆくことだろう。一人ひとりの人間の存在は、初めのうちは小さな川のようなもので、両岸の狭い範囲内にとどまり、岩場では奔流となり滝となって流れおちてゆく。そのうち次第に川幅が広くなり、両岸が開けてゆき、流れはより静かになり、ついには他の幾多の川と見分けがつかなくなって海へと注ぎ入り、痛みを伴うことなく個々の存在を失う。老年期に自らの人生をこのように見ることができる人は、死の恐怖に苦しむことはないだろう。なぜなら、自分が愛しく思っているものたちは残り続けてくれるからだ。また、活力の衰えとともに疲労が増してくることもあるだろうが、休息を取りたいと思ったからといって誰にも文句を言われる筋合いはない。自分ができなくなったことは他の人が引き継いでくれるだろう。なしうることは全てやり遂げた。私自身も、まだ現役で働いているうちにそう思いつつ死ねればと願っている。

Bertrand Russell "HOW TO GROW OLD"


そうだね、 魂と言うのは、この川の流れというか、川の水みたいなものかもしれない。
最初のうちは、1本1本それぞれに名前がつけられた細い溝の中を水が流れてゆく。
その水も、澄んでいたり濁っていたり、速い流れだったり穏やかな流れだったりする。
ちょうど個人々々の魂も澄んでいたり濁っていたり、死に急ぐものもあればゆったりと長生きするものもあるように。

でも、いずれにしても、どの川の水もやがて合流して大河となり、さらに海へ注ぎ込んでいく。

だとすれば、魂たちも合流していくのかな?
そして、合流したとき、《個人性》っていうのは解消されちゃう?

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