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重要なことは語り得ない

今、巷では、哲学者たちの知恵(の言葉・考え方)によって人生の問題が解決するみたいなテーマで、番組や書籍が乱造されてますが、20世紀最大の哲学者の1人と言われるウィトゲンシュタインは、何でも答えがあると思うなよと言っています。

Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
語りえないことについては、沈黙しなければならない。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』7


この中のmuss(müssen)の解釈によっていろんな和訳がされてるけど、拙者は一番強い意味で訳すこのバージョンがいいと思う。

答えってのはどうにでもくっつけられるもので、そういう考え方もあると言う程度のことに過ぎない。
だからついつい思いつきとかをべらべら喋ってしまう。(反省)

彼に先行する哲学者たちも、どうにかして「答え」を捻り出して提示しようとばかりしていた。

哲学的な事柄について書かれた命題や問題のほとんどは、間違っているのではなく無意味なのだ。したがって、その種の質問にはまったく答えることができず、無意味であることを確認することができるだけである。哲学者の疑問や命題のほとんどは、私たちが言語の論理を理解していないという事実から生じている。
(それらは、善はどの程度まで美と同一性を持っているかとなどという問いと似たようなものである)。だから、最も深遠なる問題が実はそもそも問題ではないというのは至極当然のことなのだ。

ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』4・003  景丸 Jr. 訳


多くの哲学者やインテリ連中の「答え」もどきは、逆にそれがその人の世界観を区切っていると言う証拠でもある。

で、本当に重要なことこそ、「語りえないこと」なのに、無理から語ろうとすること自体がナンセンス。つまり、そういう知的な営みそのものがナンセンス。ということは、そういう人生がナンセンス、ってことになるかも。

もちろん、なんもかもが「語りえない」ことではなくて、日常的にはちゃんと考えて表現する必要のあることはいっぱいある。

ところがね、面白いことにというか、皮肉なことに、ウィトゲンシュタイン自身が、実はその日常的な語り得ることについては、とても下手というか、苦手な人だったみたいなんだよね。。。

彼はバートランド・ラッセルほどの天才すら唖然とさせて論理哲学の世界から身を引かせてしまったほどの超天才なんで、我々には計り知れぬところがあるのは確かなんだけど、伝記的にはかなり興味深い人物です。

まず、彼の血縁背景がすごい。
特に音楽や絵画の分野で、姉たちや兄たちだけでなく、従兄弟たちまでもがそれぞれ見事なエピソードの持ち主だったりする。
それこそ、「語りえない」というか「語り尽くせない」ほどの才能の横溢である。

そうなのだ。
「語り得ない」のは、「語り尽くせない」にも通じる面があるのだ。
巨大な何かがあるとする。
その「何か」を語ろうとしても、そのほんの一部しか語れないし、見えないし、聞こえない。
だのに、それによって「何か」を語ったかのような気分になったら、その「何か」の全容はわからないまま、感じ取れないまま終わってしまう。

拙者が思うに、「語り得ない」ものは、ただ静かにその存在感を感じ続けるしかないのであり、それが最もマシな姿勢なのではあるまいか。

そういう「感得」の仕方があるということはついつい忘れがちだけれど、何につけせっかちに分かったつもりになりたがる現代人は、神秘性や謎に対する感受性がボロボロになって、浅いお粗末な人生で終わってしまっているような気がしてならない。



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