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失敗や挫折の大切さ

前回ちょっと引用したバートランド・ラッセルのエッセイ集からちょっと面白いと思ったパラグラフの続きを引用しますね。

もうひとつ避けなければならないのは、若者たちにかかずらうことによってその活力を吸い取ろうとすることだ。たとえあなたの子供であっても、大人になれば自分自身の人生を生きたいと思うものだ。だのに相変わらず彼らが子どもだった頃と同じように関与し続けたりしたら、あなたは彼らにとって重荷になることだろう。ま、親にどうこう言われようと知ったこっちゃないという例外的な子どもなら話は別だが。ただし、私は何も子どもに関心を持つなと言ってるわけではない。関心を持つとは、静かに見守ることである。そして出来ることなら、あまり感情的になりすぎず、慈愛の目で見守るべきであろう。動物は子どもが自分の面倒を見られるようになるとすぐに無関心になるが、人間は独り立ちできるまでの時期が長いため、なかなかそうはいかないのだ。

”Portraits from Memory and Other Essays” 景丸 Jr. 訳

そうなんだよね。
実際のところ、「老婆心」からの忠告なんていうのは、ほとんどの場合、余計なお節介なんだよね〜。

いくら善意からとはいえ、自分が失敗したことを子供や孫には失敗させまいとして教訓を垂れられてもねぇ。
そもそも時代や状況も違うし、個人個人の力量や才能や運や 夢や希望もあるわけだし、年寄りの経験値がそのまま全て役に立つとは言い切れない。
いや、むしろ真逆効果のことさえある。

ラッセルもここで言ってるように、まさに失敗と言うのは人の精神的な成長にとって必要不可欠なプロセスなんだよ。

だから「自分は人生では1度も失敗したことがない。いつも期待通り希望通りの大学や会社にパスしてきたしぃ」なんておっしゃってる人たちは、大切な人間関係や家族生活において大失敗するケースが非常に多い。

それは、個人的な思い込みや狭い人間理解のまま「社会的成功」という仮想現実の中だけで成功し続けてきたため、人間同士の実生活の中でたくさんの失敗や挫折を経て掴んでゆく小さな「人間的成功」をした経験が一度もないからかもしれないね。

で、老婆心ながらw 原文を一応引用しておきます。

The other thing to be avoided is clinging to youth in the hope of sucking vigor from its vitality. When your children are grown up they want to live their own lives, and if you continue to be as interested in them as you were when they were young, you are likely to become a burden to them, unless they are unusually callous. I do not mean that one should be without interest in them, but one's interest should be contemplative and, if possible, philanthropic, but not unduly emotional. Animals become indifferent to their young as soon as their young can look after themselves, but human beings, owing to the length of infancy, find this difficult.

Bertrand Russell ”Portraits from Memory and Other Essays”


   To be continued



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