凡才のための演技術


はじめに

 私には具体性に欠ける演技指導で才能が無いと刷り込まれ俳優の道を諦めた友人が幾人かいる。私自身は才能が無いと刷り込まれたが、何度も挫けながら演技を学んできた。これから記す事は才能なぞ無くても演劇ができるようになる為の実践的な一つの手段である。
 誰でも演劇ができる世の中になるよう、あの頃の自分自身や友人達と同じ境遇の人の武器になる事を祈っている。

 ただ、これは今現在考え、実際に行っている、発展途上の「どう演技と向き合えばより良い演技ができるか」についてなので、未熟な所もあるだろう。
私より演技について試行錯誤している俳優、演出家は沢山いると思うので、そうした先人達は是非未熟な思考を指摘していただけるとありがたい。
説明が足りない点もご指摘いただければ加筆する。

また、今まで出会った先人達から学んだことを基にし、実践してきたことを記す。

 一応どこの馬の骨かを記述しておく。著者の演劇経歴は大学のサークル演劇、札幌の小劇場、劇団俳優座演劇研究所を経て、今現在劇団俳優座準劇団員である。

演技とは

 そもそも演技とは何か。スタニスラフスキー曰く「登場人物の
精神生活を身体と声を用いて舞台上に再現すること」らしい。
 ちょっと何を言っているのか解らないと思う。少なくとも私には解らなかった。自分なりに言い換えてみると、「戯曲の中にしかいない登場人物の生き様を立体感する依代になること」だと考えた。これは結果論を話ている。これを実現可能にする為の手段であり一番の鍵が、相手に本当に行動することなのだと信じることにした。
この行動は、セリフを言う事や歩いたり座ったりじっとしたりする身体的な事両方含んでいる。
 以降の記述はこのことをベースにした考察になるので、留意頂きたい。
 この、相手に本当に行動する為の術演技術とここでは定義する。

演技術~準備編~

 どうすれば相手に本当の行動ができるか。この要素を紐解いていきたい。
まずは準備だ。
  行動を見つける為の戯曲分析能力
  稽古場で行動できる身体を手に入れる為の稽古場外の訓練
  実際に稽古場で行動を実行する為の胆力
 大まかに分類すると準備はこの三つだと定義する。
それぞれがどういった事なのか大まかに記そう。

戯曲分析能力とは

  • 目的を読み解く(使役動詞の第五文型、SVOCの形で)

  • 実際に舞台上で出来そうな行動を考える

  • 目的が達成出来ない障害を読み解く

  • 人々の関係性を考える

  • 対立関係を読み解く

  • 何が起こって目的や行動が変化していくのか読み取る

稽古場外の訓練とは

  • 自分自身の地声を知る

  • 他人の書いた言葉を自分自身が語る違和感を実感し、解消する

  • セリフに振り回されないようになるまで完全にセリフを入れる

  • セリフや行動を自分の身体になじませる(正当化する)

  • 体の緊張を自覚し、ほぐし方を知る(おすすめは、ゆる体操)

  • その他色々あるのだろうがまだ実践出来ていない為案を募集中である。

胆力とは

  • 自分自身の五感を正常に働かせる

  • 稽古場を恐れない

  • 自分がどう思われているかにとらわれない

  • 相手を怖がらない

  • 相手の俳優が本当に影響を受けるような行動をする勇気

各項目には詳しく理由があるが、とりあえず今は割愛する。

演技術~実践編~

 さて、これらを踏まえた上で実際に稽古場でシーンを演じるわけだが、相手に本当に行動するとは一体どういった事なのか。まだイメージが掴めていないと思うので詳しく記す。

 キーワードはやって見せるである。
俳優自身がどんな感情(状態)であろうが、相手にどうして欲しいのか、どう感じて欲しいのか(目的)は別問題である。
感情はコントロール出来ないものなので、気にしない。
相手にどんな影響を与えたいのかだけを念頭に置いて行動する。
結果、その行動で相手がどう影響を受けたのかを感じた上で次なる行動に移る。これを繰り返すだけである。
この積み重ねで感情等が出てくる。
ここでの注意点として、自分の行動は相手が役として感じるだろうと想像した行動ではなく、本当に相手自身が影響を受けるであろう行動にすべきである。
また、自分の選択する行動は自身が本当に想定している信じられるものにすること。信じられなくてもその行動を選びたい、演出家に注文されてやらなければならないなら、その行動が信じられるまで身体になじませる事。(正当化)
★但し、相手が怪我をしないように安全に配慮して。暴力の行動はそう見えるように殺陣の知識がある人を頼ろう。安全に配慮しても本当の行動はできる。
 演出家の指示は結果どう見えたいかということが多いが、俳優は結果を追い求めると内容が薄い芝居になってしまう事が多いので注意しなくてはならない。
感情等は結果論である。どんな積み重ねで演出家の指示を実現出来るのかに注力すべきである。


演技における目に見えない情報についての考察(実践不足の項)

 俳優が実際に舞台上に持ち込める現象として、実際に目に見える行動の第一プラン、その行動をしている様から感じ取れる第二プラン(心情)、その瞬間なにを感じているかの内的モノローグ(感情)、セリフ等含めた行動にどんな意図があるかのサブテキストがある。
正直まだ使いこなせていない概念だ。だからここからは机上論になる。実践して十分に検討した後大幅に修正する可能性がある。

 よく稽古場では「自家発電はするな、相手から感じたものでやれ」という旨のことを耳にするが、どこからが自家発電になるのだろうか。
私は馬鹿正直に本当に行動に終始することが多いのだが、どう頑張っても戯曲に書かれた状況と素の自分の状況が合わないことが多々ある。結婚前日に決闘に行く人や復讐するか死ぬかについて一人でべらべら喋る人の精神状態と、稽古場でこれから創作する人の精神状態は違って然るべきである。
 となれば、俳優はその差異を埋めた方がよい芝居ができるのではなかろうか。
つまり、この項の初めに記した第二プラン(心情)は自分で操作すべきで、内的モノローグ(感情)さえ操作しようとしなければよく人の言う自家発電にならないのではなかろうか。
だが、ここで問題が生じる。私自身が目に見えない事象に関して疎いのだ。
どこからが第二プランでどこからが内的モノローグなのか判断がつかない。
もしかしたら第二プランは出てくるまで何をしていたか、どんな人間性(歩き方や姿勢や話し方からわかる年齢や社会的地位、大事にしていること等)か、世界の認識(季節や時間帯での体感温度等)、これから何をしたいのか、今余裕がどれくらいあるのか等のスタニスラフスキーの9つの質問のことかもしれない。
 もしこの仮定が正しければ、この第二プランを正当化して稽古場に臨むとより良くなるのかもしれない。
 もしかすると、尊敬している俳優の方と創作した時、役の夢場面外のシーンを創作してから戯曲の稽古に入った理由こそが第二プランを正当化出来るようにする為だったのではないだろうか。





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