つぶやくシロ

主婦。エッセイストになりたくて、ただ今文章修業中。「えすさん」(さて、どんな人でしょう…

つぶやくシロ

主婦。エッセイストになりたくて、ただ今文章修業中。「えすさん」(さて、どんな人でしょう?)が好き。

最近の記事

すき

苦しくて、澱んだ灰色のあたまから、絞り出した。 「言葉が、出ない」 たった一言、呻くようにつぶやいた。 誰からも、忘れ去られた、と思っていた。 誰からも、相手にされていない、と感じていた。 ふいに、そんなつぶやきに、 「だいじょうぶ?」と優しいスキをくれたひとがある。 ひとりでは、なかったのだ…

    • 言葉が、出ない。

      • ありがとう…

        こうやって、noteを開くまで、今日一日ずっとつらかったぁ~。 「お前なんか死ね」「お前なんか死ね」 何かし始めると、このせりふが脳みその表面を駆け巡る。ぼーっとして何も手につかなかった。 でもね。 noteのトップページをパッと見た瞬間、hohoさんの絵が目に飛び込んできて。 クリックして記事も読ませていただいて、hohoさんの世界にしばし浸ったとき、気が付いた! 「あれっ。」 そういえば、さっきまでのあの嫌なせりふが、消えている。 ええ?ほんとにさっきまで、辛かったん

        • イルカのジャンプ!

          だめだ。心が疲れている。頭もキリキリする。 この文を書いている今は、頭の中が空白だ。何も書けない。言葉が出ない。 そうだ、心の光をとりもどすのだ。言葉じゃない、絵を見よう。ここまで書いた。さて、見出し画像を「みんフォト」から、選ばせてもらって、インスピレーションをいただこう。 (この間、「みんなのフォトギャラリー」を検索。何も考えず、自分の目が勝手に拾ってくれたイラストが、今日の見出し画像。私の目は、今日はこういう癒しを求めていたのか。) 画家の葉祥明さんを彷彿とさせる

          ことばと深呼吸

          う…、つらい。 外は晴天。 でも頭が重い。 54歳。父が死に、母が呆け、こころを束縛する人がいなくなった。 衣食住はどうにかこうにか足りている。 暖かい、静かな時空間が持てるようになった。 こうして一人、パソコンに向かって書く自由が降りてきた、今日この頃。 若いころ、「自分」がいったん「壊れた」。まだ、二十代のはじめだった。 それでもなぜか身体は生きていて、死んだ魂では自分を制御できなくなった。 「生ける屍」 その言葉の意味を、感覚で味わった。 卒業論文を書き、就職を決め

          ことばと深呼吸

          やさしい絵に出逢って

          「病んだ心の膿を出す、思いっきりネガティブなブログにしてやる!」 そんなつもりで始めたこのnote。 3記事めで、早くも方向転換するつもりになっている。 「病んでいるなら、健やかさを取り戻すためのブログに」 今ではそう考えている。 hohoさんというクリエイターの作品に出逢った。 「みんなのフォトギャラリー」をうつろにスクロールしていた私の目が、ほんわりと暖かいひとコマにひきつけられた。本当に、目が自然に反応した感じで、意識せずに「この絵、好き!」と、ピンときた。 「こん

          やさしい絵に出逢って

          宇多田ヒカルを聴きながら

          これを書いている背後で、宇多田ヒカルさんのメドレーをYouTubuで流している。 どこか憂いのようなものを含んだ美しい声色。 「私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます」 宇多田さんは、母・藤圭子さんが亡くなられたとき、自らのブログにそう記している。 痛み、悲しみなどひとの心のネガティブな想いを、作品を通して美しい宝石にかえてしまうアーティスト。 50も半ばを過ぎようとしてるのに、いまだに毒母問題で日々心にドス黒い有毒ガスを充満させて暮らしている

          宇多田ヒカルを聴きながら

          「お前なんか死んでしまえ」に苦しむ朝

          「お前なんか死んでしまえ」 幻聴…ではない、と思う。聞こえてくる訳ではない。脳内で自分が独り言を言っているような感じ。 朝起きた時からこの「脳内独り呟き」をしてしまい、行動の意欲がわかない。思考が前に進まない。はっきり言って、つらい。 それでもnoteを開けてキーボードを叩いているのは、内面から言葉を外に出す行為によって、少しだけ心が軽くなるからだ。 非定型精神病、の診断が出ている。「定型に非ずの精神の病」って、なんだそりゃ。「型はないけどビョーキです」ってことか。医師やネ

          「お前なんか死んでしまえ」に苦しむ朝