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好かれるでもなく、嫌われるでもなく、必要なことを。

嫌われるでもなく、好かれるでもない。
でも、自分に対しても他人に対しても、
必要なことをすることができる人。

そういう人が、本当に好ましく、尊敬できる人なのかもしれないと思った。
(今日たまたま出会った人が、そう思うような人だった。)

どうしてもわたしは、好かれようとしてしまう。
嫌われないようにしてしまう。

でも、好かれるとか、嫌われるとかじゃなくて、
自分に対しても他人に対しても、必要なことをすることができる、そういう人になりたいと思った。

わたしの相方も、そんな人のひとりだと思う。
わたしも、そういう風になっていけたらいいと思った。昔は、好かれたかった。好かれている方がよくて、その方が楽だと思っていた。

でも、そうでもないのだ。と最近気がついた。
好かれるのも、けっこう大変だ。ずっとその評価を維持しなくちゃいけないし。その時点で自分で自分をよく思うために、他人を必要(依存)としてしまっているのかもしれない、し。

しかも、好き嫌いは、偏った主観的である場合や、自分の一部分だけを見ているだけの場合も多いのだ。更に、好き嫌いは変動する。簡単にコロコロひっくり返る。その人を好きになる人は、その人を嫌いにもなる。

長年の経験と知恵で、そのことをわきまえている人がときどきいる。わきまえた上で、あまり存在感はないのだが、こちらに負担をかけることなく、さっさっと必要なことをしてくれたり、人が見ていないところでも同じ様に、なにかをやってくれていたりする。

そうした人のそうしたところが、ほんとうは、好かれるとか嫌われるとかよりも、尊敬できる偉大さを秘めている人な気がしたのだった。(もちろん、個性やキャラやタイプはあるけれど。わたしはむしろ奥ゆかしい人とは程遠く、こうしたタイプとは真逆な気もするけれど。笑)

好かれるでも嫌われるでもなく、必要なことを
自分にも他人にもできる。
そういう人物を目指したいものだと思った。

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いまの相方と暮らしはじめてから、8ヶ月が経つ。以前と比べて、変わってきた気がする。
気付けなかったことに気づいたり、新しい価値観を発見したり。相手と共有している空間と、接する時間で、わたしが広がって変化していくのが面白いと感じている。

好きな人と暮らすというのは、こういうことなんだな、と思う。

自分が広がっていく。自分の心が、受け止められるものや、ものの見方が、視野が広がる。そして、それが起きているのは相手も同じなのだ。

恋をすると人生勉強になると誰かが言っていたが、その意味を実感した。ような気になった。
(※恋をしていない人が人生勉強が足りない・していないという意味ではありません。)

今日は色んな人とお話しをして、色んなことを考えたな。

もう寝よう。
おやすみなさい、 Good Night.✳🌜





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