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オレンジ/おやすみばく/①おやすみばく

オレンジ

おやすみばく


①おやすみばく

「間に合わないかもしれない。シマちゃん。もう間に合わないよ」
 改札が近づくとシマちゃんはぐっと加速して、私をおいてけぼりにして駅の階段を昇っていく。私は息を切らしながらやっとプラットホームにたどり着いた。
「クルミ、クルミ」
 シマちゃんが赤い電車から首を出している。足も出している。
 けたたましい駅員さんの警笛の音。
 電車が動き出して、膝を曲げてハアハア云っている私にシマちゃんは云った。
「クルミが遅れたら、いつだって私が足出しといてあげる」
 駅員さん、私のこと待っててくれてありがとう。駆け込み乗車はもうしません。ごめんなさい。
 でもその時のシマちゃんの云い方がおかしくて、なんだか私はおばあちゃんになっても忘れないような気がした。

 セーラー服で正座している。シマちゃんが入ってくる。シマちゃんは紺のピーコートを着ている。学校指定のピーコートだ。シマちゃんが着ると探偵みたいにかっこいい。でもね、シマちゃん。十月だよ。そして気づく。これは夢の中だ。
「ねえ、なんで云わないの」シマちゃんが云う。
 私は黙ってシマちゃんの顔を見上げている。威圧しちゃうかなって思ったのかシマちゃんもぺたんと座る。ここは私の部屋みたい。
「なんで云わないの。昨日の夜お父さんが帰ってこなくて、ずっとずっと心配してて、夜中に連絡があって、酔っぱらって橋から落ちて大けがして入院してて、明け方病院着いて、包帯ぐるぐるのお父さん見てそばに寄れずにふるふる震えてて、お母さんは病院に残って、貴方はおうちに帰ってからおいおい泣いて、目をぱんぱんにはらして学校に来たって」
 ああ、ここは私の夢の中。シマちゃんは何も知らないのに何でも知ってる。
「なんで云わないの」
「だってね。今日の朝は全体朝礼で、外のお日様の光の中でシマちゃんにおはようって云ったの。まぶしそうに。そしたらシマちゃんなんて云った?クルミ、どうしたのその顔。あっわかった。見たんでしょ。私が云ってたアニメ。昨日号泣回だったのよ。深夜だったのにリアタイしたの?私はまだ見てないよ。ああ~楽しみだなあ。そしたら私なんだかおかしくなっちゃって。幸せで、幸せで。ああ私はこの国で幸せに生きていこうと思ったの。シマちゃんがいる学校の国で」
「でも眠れないんでしょ」
 うん…夢の中だけどね。私意外と図太いのかな。
「眠りの国をなめたらいけんよ。眠りの国は幸せじゃなくちゃ。三六五日一日に少なくても五時間?わかんないけど。眠りの国が平和なら収支決算も乗り切れるかも」
 ああ…シマちゃんの云ってることがわからなくなってきた。するとシマちゃんはピーコートを開いて中からもこもこの平たいぬいぐるみみたいなものを出した。ミルクティ色。首にピンクのギンガムチェックのリボンを結んでいる。
「カピバラ?」
「バクだよ」
 ここは私の夢の中。だってシマちゃんならきっとノリツッコミしてくれるんだもの。私には思いつかない。

 朝の教室。カーテンがふわふわと膨らむ。シマちゃんは机に頬杖ついて思案顔。
「ねえ、文化祭踊るんだよね。なにで踊るの?決まった?」
「メドレーにしようと思ってる。うちらまだ下っ端だしさ。ガツンと行くより曲で緩急つけて。アラカルトみたいな感じ?メインディッシュは先輩たちに任せて」
「ふーん」おもしろそう。
「最初はアイドルの曲で」
「何にするの?」
「定番よりも少し外していきたいなあ」
 シマちゃんが並べたリストを見乍ら私は云う。
「ええ~これ定番だよ」
「そうなの?私わかんないよ。クルミ詳しいからなあ。疎いのと詳しいのとの中間でちょうどいいんじゃない?」
 それから窓の外見乍らシマちゃんが云う。
「ねえ。この世で一番君が好きなんだって。世界が消えても君を守るんだって。でもね。延べ何十人の人たちがこれをキラキラの光の中で歌うなら、きっとその中に何人かはこの歌を泣きたい気持ちで歌う子もいると思うの。そうして泣き乍ら聴く子もきっといる。銀河の彼方から続いてきた普遍的な世界の中で。なんか浅いようで深い。刹那のようで永遠」
 気がつけば朝の教室に星空と楽園と恋の歌が流れている。

 セーラー服で正座している。シマちゃんはピーコートを脱ぎました。やっぱり暑いらしい。夢の中だけど。
「これは『おやすみばく』」シマちゃんが云う。抱きしめている。
「非常に由緒ある逸品です」
「はい」
「昔武家のお姫様が政略結婚でほんっとに小さい一桁の年令くらいでお嫁に出される時に、母者が恋しくならないように渡されたのです」
「はあ」
「もしくは地中海の向こうのちょっと寒い国のお姫様が政略結婚でお金持ちの国王に嫁ぐ時に、母国が恋しくならないように渡されたのです」
「政略結婚グッズですか」
「時間も空間も超えているのです」
「それがこれ?」
「量産型です」
 二人で顔を見合わせて笑った。
「ちょうだい」
「はい」ってシマちゃんはおやすみばくを私に渡した。
「クルミの家族も困ったもんだよね。平凡な一家なのにね。まあ、そんなもんか」
 うん。これだけじゃないの。いろいろあるの。シマちゃんは全部知ってるんだね。
 私はそれを抱きしめる。ふわふわ。もこもこ。ねえ。ふかふかももけもけも時に嗚咽を誘うよ。大丈夫かな。でもシマちゃんが笑っているから私は泣かなかった。これ、枕?それともともだち?

 お昼休みの教室。購買部のパンはすぐ売り切れちゃうから戦利品。ピラフなんて私一生食べられないと思う。そう思うと高校時代のランチタイムってミシュランの食事より貴重かもしれない。私は一人でお弁当食べるのも大丈夫な「変わった」一年生でした。いつからだろう。シマちゃんとお弁当を食べるようになったのは。
「二曲目はバンドです」
「ああ、楽しそう」
「ちょっと懐かしいのにしようかなって」
「うん。懐かしいののほうがバンドって感じだねえ」
 わたしはシマちゃんのセレクションを眺めている。これはホントに定番かも。
「抽象的な歌詞」シマちゃんが云う。
「でもね。だから共有できるんだって。読んだことある。『君のくれた時計』より『君のくれた宝物』のほうが、受け手側も自分に置き換えられるんだって」
「ふーん。考えてるんだね。とんがってるようで」
「みんなのうた」シマちゃんは云う。窓の向こうを見てる。
「スーパースターの喪失も、百人の失恋もいっしょに包むの」
 ドラムの音が聴こえる。音が重なってくる真昼の教室。

 セーラー服で正座している。シマちゃんと二人並んで。大喜利みたいだね。
「ねえ、夢を食べるんだよね」
「うん」
「どんなふうに。むしゃむしゃって食べるの?」
「あのね。アラカルトみたいにコンテンツが並んでるのよ。でセレクトするの。見ないほうがいいものを。悪い夢とかそんなのわかんない。でもね、たとえば過剰摂取。起きてるときいっぱい考えちゃうこと。夢の中にまで持ち込まないように。そこらへんは腕の見せ所。前足の見せ所」
 シマちゃんは力こぶのポーズをしてみせた。
「量産型って云ったじゃない」ほかにもいろいろあるのかな。
「うん。本体の色とリボンの色がいろいろだね」
「色によって効能が違うの?黄色は金運とか」
「サルボボじゃないんだから」シマちゃんが云う。
「もうね。クルミは若いのに黄色いサルボボ買って。あれ背中に金運って書いてあったよね」
「黄色が好きだっただけなんだけどな」秋の遠足だ。楽しかったな。
「じゃあ何を基準に選ぶの?」
「好きな色選んで。あとはインテリアとの兼ね合いかな」
 でも私はこのピンクのギンガムチェックのリボンの子にします。シマちゃんが選んでくれたから。
「あとミニサイズもあるよ」
「ええ~」って私は云った。なんかもうシリアスじゃないんだね。シマちゃん。私は学校の国でも、眠りの国でも、笑って暮らせそう。

 放課後の教室。オレンジと青が混ざった空は宇宙船が現れそうな色してる。
「日が短くなったねえ」シマちゃんが云う。
「今日はダンスの練習ないの?」
 でも私は気づいている。朝も昼もいつも教室には二人しかいない。
 教室の窓から外を見てる。シマちゃんが肩にかけているスポーツバッグ。体育会系の女の子って意外とファンシーなものいっぱいぶらさげてたりするけど、シマちゃんはそうじゃなかった。でも今シマちゃんのスポーツバッグには黄色いリボンを付けたチャコールグレイのおやすみばく。
 ねえ、シマちゃん。大好きな人いたんだね。遠足のとき三組の子と歩いているの見ちゃったんだよね。悲しかった?私全然気がつかなかったよ。ごめんね。
「最後の曲は何にするの」
「讃美歌」シマちゃんは云う。「おごそかに終わるの」
「ねえねえシマちゃん。なんでバッグにアリクイつけてるの」
「おいしくないんだよ、アリなんて。一生懸命働いてるし。ちっちゃいし。食べたくないの。でもアリクイなんて名前つけられたから食べなきゃいけないの。つらいな~ってこれバクなんですけど」
「長いよ」私は笑った。ここはシマちゃんの夢の中。静かに讃美歌が忍び込む。

 プラットホームで電車を待っている。もうすぐ文化祭。ダンス部のステージ。シマちゃんが何を演るのかどきどきしている。なんできかないのってシマちゃんが不思議そうな顔をする。私はシマちゃんのセトリを知っているよ。たぶん。シマちゃんもどきどきしてる?
 ねえシマちゃん。いつかおばあちゃんになったら答え合わせしよう。おやすみばくがシマちゃんの夢の中の私と私の夢の中のシマちゃんを食べちゃわなかったって笑おう。電車が来るよ。私はシマちゃんがいるこの国が好き。


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