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「虎に翼」の時代も、孔子の時代も女性蔑視だった⁉―『論語』女子は養い難し。 

良妻賢母か職業婦人か

 連続テレビ小説「虎に翼」。興味深く、毎回観ています。日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだの女性の実話に基づくオリジナルストーリー。
 モデルとなっているのは、日本で女性として初めて弁護士・判事・裁判所所長になった三淵(旧姓武藤)嘉子(みぶち・よしこ)さん。

 戦前、日本社会が女性にも門戸を開放する動きが広がりるなかで、三淵さんは女学校卒業後、1932(昭和7)年、第4期生として明治大学専門部女子部法科に入学しています。
 旧制一高や東大に進み、台湾銀行に勤めていた父親は、娘の三淵さんに社会進出を促していました。
「男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ。それには何か専門の仕事をもつための勉強をしなさい。医者になるか、弁護士はどうか」と語っていたそうです。
 一方、母親はそれとは違っていました。嘉子さんが入学するときに「法律の勉強をしては嫁の貰い手がなくなる」と泣いて猛反対した。そういう逸話が残っています。

 職業婦人としての自立を願う父親。
 良妻賢母を願う母親。
 三淵さんはそういう家庭に育ったわけですが、では、当時の女学校における「良妻賢母」教育がどんなであったのか? 
 その一端を知ることのできるコラムが、内閣府男女共同参画局のHPに掲載されています。

 高等女学校のカリキュラムを見ると,「国語」,「数学」,「歴史」,「外国語」などの一般科目だけではなく,「家事」,「裁縫」等の男子の旧制中学校にはない科目が設定されている。
また、高等女学校における正級長任命の基準が,同じ地域の旧制中学校と異なり,成績だけではなく,親切・謙譲・円満など周囲に対する配慮が重視されていた、という事例が指摘されている。
卒業直後の進路を見ると,多くが「家庭」となっており,就職した者の割合は極めて低い。

内閣府男女共同参画局のHP

 また、文部大臣の樺山資紀が明治32(1899)年の地方視学官会議において、「高等女学校の教育はその其生徒をして他日中人以上の家に嫁し、賢母良妻たらしむるの素養を為すに在り」と述べており、高等女学校には,良妻賢母の育成が期待されていたことがわかる。

内閣府男女共同参画局のHP

 ともあれ、三淵さんは戦前、戦後を通して、法曹界で女性の道を切り開いていくわけですが、その生き方は、連続テレビ小説「虎に翼」でこれから放映されていくことでしょう。

「ただ女子と小人とは養い難しとなす」の真意は

「虎に翼」の三淵さんが幼少時代を送ったの時代は、女性の社会的地位が制限されていた、女性蔑視の時代でしたが、古代中国、孔子が生きた時代も、女性の社会的地位が著しく制限されていました。
 その時代に孔子なされた発言。現代からみると女性蔑視ではないか、とみなされている言葉があります。『論語』陽貨篇に出てきます。

ただ女子と小人とは養い難しとなす。
これを近づくれば、すなわち不遜なり。
これを遠ざくれば、すなわち怨む。

ある解説書では、こう訳出しています。

女性と徳のない人間とは、近づけると図に乗るし、
遠ざければ怨むので、扱いにくいものである。

 女子と小人の言葉が先に出てくるので、この人たちのことをあげつらっているように、受け止めれられますが、個人的には孔子の主題は後半の言葉にある、と解釈しています。
 つまり人づきあいで心すべきことはどういうことか、ということです。

 親しくつきあうと、自分の立場やみのほどをわきまえず、つけあがってしまうことがある。
 厳しく接すし、疎遠にすると、自分のことを疎んじていると、恨みがましく思われしまう。反感を抱かれてしまう。 
 相手に寛容すぎても、厳しすぎてもいけない。ほどよい距離感と愛情をもって、人とつきあうのが、いちばんいい。
 人間関係も「中庸」を心がけよ、ということですよね。

 それにしても、孔子は、人間関係のあり方について一般論で済ませずに、なぜ「女子と小人」のたとえを持ち出したのでしょうか。

「小人」とは「君子(徳のあるリーダー)」と対比される存在で、並みの人間ということではありません。学問、才能などは優れているけれど徳に欠けるいる人、という位置づけです。

 さて、「女子」ですが、『論語』に女子のことが登場するのは、この一節だけです。ここでいう女子とはどういう身分、性向の人を指しているのか。
ご本人に問い質しようがないので、真意はわかりません。

女性の社会進出に尽力した渋沢栄一氏の見解

 女性蔑視とされる言葉を述べた孔子について、実業家・渋沢栄一氏が『論語講義』(守屋淳編訳)で、独自の解説をしているので、耳を傾けてみましょう。
 渋沢栄一氏は、『論語』を終生の指針とし、明治から大正時代にわたって、女性の社会進出、地位向上、婦女子の教育に尽力してきた人物です。

 今は昔と異なり、人はみな平等で、男女も同じ(政治上の権利を除く)権利を持っている。(略)人権に高い低いの区別はないのだ。みな同じ人の子、もちろん奴隷視などしてはならない。(略)
 孔子の言う『女と使用人(=小人のことを渋沢さんは使用人と解釈)は始末におえない』というのは、第一に男尊女卑を原則として、第二に女子に教育機会を与えない時代の見方を反映している。今や政治上も男女同権に近づき、また教育も女子に行き渡ったのだから、昔と同じ見方はできないだろう。

『論語講義』(渋沢栄一著 守屋淳編訳)

 こうして民主化が進む明治~大正の世情をもとに、渋沢さんは孔子の言葉について、次のような解釈を披露します。

 孔子は、『過去の歴史を勉強することによって、現代に対する洞察を深めていく(故きを温ねて、新しきを知る)』と述べているように、意欲的に新しいものを取り入れようという考えを抱いている方だった。
 だから、もし孔子が今日に生れたならば、絶対にこのような言葉は残さなかったろう。婦人参政権も、(孔子は)否認しないに違いない。

『論語講義』(渋沢栄一著 守屋淳編訳)

 最後に触れている婦人参政権について、渋沢さんは大正時代からその必要性を唱えていましたが、彼の生存中には実現しませんでした。議会で正式に認められたのは、戦後間もない1945年のこと。渋沢さんが女性の社会参画や地位向上に関していかに開明的であったか。
 ちなみに、「婦人参政権」は、現在では「女性参政権」と言い改められていて、ここにも時代の流れ、社会の価値観の変化の一端をみることができます。

 こうしてみてきましたが、「孔子が今日に生れたならば、絶対にこのような言葉は残さなかった」という渋沢さんの考えにならって、未来に向けた視点で考えたい。そう思います。



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