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答えをすべて教えない。自ら考えることで人は育つ。孔子の人材育成法―『論語』

「挙一反三」の教えとは

「啓発」という言葉の由来になった、孔子の人材育成に関する話の続きです。

憤(ふん)せずんば啓(けい)せず。
悱(ひ)せずんば発(はっ)せず。

『論語』述而篇

と述べた孔子の学ぶ姿勢への激烈な思いは、さらに続きます。

一隅(いちぐう)を挙(あ)げて三隅(さんぐう)を以(も)って反(かえ)らざれば、則(すなわ)ち復(また)せざるなり。

『論語』述而篇

その意味は、
一つの隅を示しただけで、他の三つの隅にも鋭く類推を働かせるようでなかったら、それ以上の指導は差し控える(教えない)。
ということです。

 一隅を挙げて三隅を以って反すは、次の四字熟語で知られています。 
「挙一反三(きょいちはんさん)」
または
「一挙三反(いっきょさんはん)」

 また、「挙隅(きょぐう)」と言い方もあります。
 一部を知らせて全体を理解させる、という意味で使われます。

 1つのことに気づいたら、それに関連づけてモノゴトを考えていきなさい。モノゴトの全体像を把握し、全体を俯瞰してみるようなれば、考え方も一段ステップアップします。
 孔子は、そういう成長を促しているのです。

詰め込む教育vs導く教育

 日本近代資本主義の父と言われ、「論語と算盤」の著書もある渋沢栄一氏が、この言葉に関して、1世紀も前に現代の教育事情に通じる鋭い指摘をしているのには、驚きます。

 わが国の教育界も、一時は詰め込む教育に傾いたが、その効果が少ないために、最近はやる気を前提とした、導く教育を推進するようになった。
 このような教育が必要なことは、孔子がすでに2500年前に主張していたのだ。 
(すべてが)詰め込む教育になってしまえば、人は自分で考え、理解することがまったくなくなってしまうのである。

 日本では近年、「ゆとり教育」が導入されたものの、詰め込み教育への反省が間違った方向に受け止められて、失敗に終わってしまいました。
 自分の力で社会を生き抜いていくためには、知識を蓄える教育、競い合う教育も欠かせない。そして、人間教育(徳育)の場をもっと設けることも必要なのではないでしょうか。

 話がそれてしまいました。

 晩年になって、故郷の魯国に帰国した孔子。40歳以上離れた若い弟子と接するようになってからは、言葉を尽くして教えるようになりました。
 ある程度、丁寧に導いたうえで、自ら考えさせる、ということ。
 
 自分が若いときに実践した「教えない教育」の欠点を、孔子は晩年になって補おうとしたのかもしれません。 
 それでも、自分で考える姿勢や自主性を重んじる、ということでは、孔子の教育方針は一貫していました。

 自分で考える姿勢や自主性を重んじる。 
 現代においても、そのことを大切に考えて、人間力育成研修に向き合っています。


 以下は、人間力育成研修で、この言葉について。話し合ってもらったとき出てきた発言の一部です。

【教わる側】
・教わったことをもとに、他の仕事にどうやって展開するか、よりいいものを作れるのかを考えていく。そして、考えているだけではダメで、行動に移さないと、何の意味もなさない。積極性を持って、いろんなことにチャレンジしたい。

【教える側】
・自分で考える教育をあまり受けいない人が、社会人に増えてきた。また、ネットを検索するとすぐに答えを見つけることができる時代でもある。
そういう世代の人たちには、一隅を教えるだけでなく、残りの三隅まで教えてあげる、つまり四偶すべてを教えないと、正解を教わったと受け止めてもらえないでしょう。一隅を教えたら、三隅は自分で考えなさい、という孔子の指導法を、若い世代に向けて、どう実践してくのがいいのか。指導する側への問題提起として受け止めました。


 現場の第一線で活躍している若い人たちの発言をみていくと、孔子の教育方針を、仕事の現場、教育の現場のこととして受け止めてもらうと、いろいろな活かし方があるのだと思えてきます。

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