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愛を欲しがる人は愛されない

愛を注ぎたいと思える人は、自己肯定感がある人。落ち込む様子を見て注ぐことはあるものの、それは回復の見込みがある前提。

つまり、日頃から自分を大切に扱える、精神的に自立した人向けに行うもの。
そうでない人に行うと・・本来できることをしようともしない依存を招きます。

うっかり失敗して迷惑をかけたら、同じことを繰り返さぬよう自ら改善します。
例え、相手が笑顔で許しても同じように。

その温和と言える大人の対応を真に受けて何もしない。許されて当然という傲慢さが態度に滲み出る。
このため、それまで良かったはずの立場が急に悪化して、そのまま破綻。
そう、これは以前のわたしです。

その注いでもらった愛の数が3なら最低1は「努力による結果」で返す。これを繰り返すことで、ようやく愛されるというもの。
このような人間関係が社会的に望ましい姿であろうと、個人的にはそう考えてます。

職場の愚痴になりますが、相手から与えられた10の配慮に対するお返しの数は2。
(あくまでわたしが見た印象ですが)
それまで月2回の現場出勤が月4回(週1回)に増えたことで、いろいろ拗らせ場面(もちろん本人は悪気ゼロ)を見る回数も増えました。
行く度にイラッとします。
(やはり以前のわたしが見えるので)

そのときに湧いた感情を、筋トレや読書にnoteなどの方法で癒やす。自分の中の「光と影」を見つめ、いつでも味方につける。
そんな心の伴走者としての「わたし」を育てることが、現実にいるわたしを強くさせています。

日頃続けているインプットとアウトプットの両立は、表と裏のわたし同士が対等に接する関係を維持するのに必要。悩む時間をそのように使うことで、依存体質に戻らないで済んでます。(もちろんリラックスもする)

イタいテイカー気質だったわたしが、ようやくこの位置に立てた。今後もあらゆる障害物との遭遇はあるだろうけど、必要に応じてそれを破ったり、かわしたり。
そんな柔軟性というものを、じっくり育てていきます。

それが、自分への自分流の愛し方です。

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