小兵衛

考古学が大好きで全国を巡っています。 公益財団法人日本文化財保護協会の考古上級試験に合…

小兵衛

考古学が大好きで全国を巡っています。 公益財団法人日本文化財保護協会の考古上級試験に合格し、 カルチャーセンター講師や同好会の幹事などを行っています。

最近の記事

素人の考古学ー埼玉県秩父地方の古墳群探訪

 古墳時代の武蔵において、北武蔵地域と南武蔵地域および秩父地域に政治権力が台頭し大和との密接な関係を結んでいた。 埼玉県秩父市には、いくつかの古墳群が存在し、その中でも特に有名なのが 飯塚・招木古墳群である。 飯塚・招木古墳群は、埼玉県秩父市寺尾にある群集墳で、飯塚地区に73基、招木地区に53基の古墳が展開する秩父地方最大の群集墳。主に径5〜27メートル、高さ1〜4メートルの円墳で構成されている。 他にも秩父地方には、大野原古墳群や金崎古墳群など、さまざまな古墳群がある。 ●

    • 素人の考古学ー埼玉県行田市の石舞台古墳の見学

       埼玉県行田市に「関東の石舞台古墳」といわれる巨石を組合わせた横穴式石室を持つ円墳がある。 八幡山古墳で、埼玉県行田市藤原町にあり、若小玉古墳群を構成する古墳の1つである。 若小玉古墳群には、昭和初期までは愛宕山古墳、荒神山古墳など、3基の前方後円墳と、8基の円墳・方墳が存在していたが、現在、ほとんどの古墳は削平され、八幡山古墳と地蔵塚古墳が残っているのみ。 さきたま古墳群の築造が止んだ後に、新興の豪族が築いたと推定されている。 ●八幡山古墳 7世紀中頃 80mの円墳。墳

      • 素人の考古学ー埼玉県比企郡の方墳など見学

        埼玉県。「さきたま古墳群」が有名であるが、今回は比企郡の見栄えの良い2つの古墳と県内最古の前方後円墳。 ●穴八幡古墳。7世紀後半。 32x5.6mの方墳。二段築成、二重周溝を持つ。県内最大の方墳 小川町の盆地を一望するところで、被葬者はこの盆地を治めた有力者。 横穴式石室が南に大きな口を開いている。 緑泥石片岩を使用した石室は玄室・前室・羨道からなる複室構造。 石室下部には版築を用いた基礎工事が行われている。 玄室に八幡様が祀られていた。 大きな1枚石を組合わせて構築

        • 素人の考古学ー埼玉県行田市の小見古墳群巡り

           埼玉県行田市の小見古墳群内には面白い古墳が沢山ある。 さきたま古墳群のサイズが小さくなっていく時期に少し離れたこの地に大型の前方後円墳が築造されたのはなぜか。 権力の中心が移ったのか? ●小見真観寺古墳(国史跡) 墳丘長は112メートルであり、埼玉県内第4位の規模を有する前方後円墳。俗には「観音嶽」とも称されている。 主軸は西北西に向かい、封土の左側および前後の頂部は削平されているが、右側の遺存状況は良好。 後円部の径は55メートル、高さは7.8メートル。前方部の幅は48

        素人の考古学ー埼玉県秩父地方の古墳群探訪

          素人の考古学ー埼玉県さきたま古墳群巡り

          概要:  関東では最も整備されている「さきたま古墳公園」に行 き、はじめに博物館で学芸員から「金錯銘鉄剣」など出土 品の説明を受け、午後からボランティアの案内で丸墓山古 墳や稲荷山古墳、将軍山古墳などメインの古墳群を見て回 った。 古墳は5世紀から6世紀の間に築造され40基近くあるが 、そのうち9基が整備保存されている。国指定史跡。 全長105mの円墳と55~138mの8つの前方後円墳。 特徴は長方形の二重周濠、造り出し、中堤張出を持つ。  その後吉見百穴に行き200基以上あ

          素人の考古学ー埼玉県さきたま古墳群巡り

          素人の考古学ー茨城県石岡市舟塚古墳巡り

          この地方は今から1万年以上前の旧石器時代から縄文時代、弥生時代にいたる数多くの遺跡がある。 4~6世紀の古墳時代の遺跡として、茨城県内最大規模を誇る舟塚山古墳をはじめ、府中愛宕山古墳、要害山一号墳などがある。これらの古墳は、古代豪族がこの地に割拠していたことを物語っている。 常陸国の中心地で、縄文遺跡、弥生遺跡、古墳、国府、国分寺などが一日で見られる。 霞ヶ浦に流れ込む恋瀬川に沿って、水上交通を支配していた豪族の古墳群がある。 ●舟塚山古墳 (国史跡) 全長186ⅿ高さ1

          素人の考古学ー茨城県石岡市舟塚古墳巡り

          素人の考古学ー茨城県ひたちなか市の虎塚古墳見学

          虎塚古墳(国史跡) 茨城県ひたちなか市に東日本では珍しい装飾古墳があり、春秋の年2回一般公開されており、春の公開日に行ってきた。 彩色装飾古墳は全国に約600基ありそのほとんどが 熊本、福岡に集中しており、ほかには茨城、福島、宮城に数基あるのみ。 白色粘土で下塗りを施し、その上に赤色顔料のベンガラで描かれた息をのむような素朴な壁画である。 奥壁には、上部から連続三角文、上下三角文、環状文、靭形図文以下武器武具類。 東壁には、連続三角文、靭形図文、円文、楯形図文、 頸玉形

          素人の考古学ー茨城県ひたちなか市の虎塚古墳見学

          素人の考古学ー栃木県下野遺跡群巡り

          栃木県南部の思川・田川の流域には、古墳時代後期から終末期にかけて大型古墳が多く造られた。これらの古墳には、 (1)墳丘の1段目が低く平坦で幅の広い面[基壇(きだん)]をもつ。 (2)前方後円墳では前方部にのみ横穴式石室がある。 (3)横穴式石室に凝灰岩の大型切石を使用する。 の3つの特徴から、「下野型古墳」と呼ばれている。これらは首長墓と考えられており、消滅した古墳も含め8基の古墳の築造された当時の姿が推定復元され「東の飛鳥」とも称される、史跡・遺跡の集積地である下野市周辺の

          素人の考古学ー栃木県下野遺跡群巡り

          素人の考古学ー千葉県木更津市の金鈴塚古墳見学

          概要: 木更津駅近辺では6世紀代に多くの古墳が作られたが、その多くは明治時代からの街の発展とともに消えていき、わずか3基が墳丘の一部を残すだけとなった。 上総国の長須賀古墳群に属し、この地方は馬来田国造(まくたこくぞう)が治めていた。 そのうちの1基より小さな金色の鈴5個が出土し、「木更津市郷土博物館金のすず」に展示されている。今回この金のすずを目的に博物館→稲荷森古墳→金鈴塚古墳と回る事とした。 1. 木更津市郷土博物館金のすず 千葉県立上総博物館に金鈴塚遺物保存館を併

          素人の考古学ー千葉県木更津市の金鈴塚古墳見学

          素人の考古学ー千葉県の加曾利貝塚を見学

          加曽利貝塚  加曾利貝塚は日本最大の貝塚で国の特別史跡。 縄文時代の貝塚は全国に約2400カ所あり、千葉に3割近く集中している。 縄文中期から後期にかけて1,000年以上住み続け、食べた貝殻が数メートル堆積している。 直径130mで環状の北貝塚と170mで馬蹄形をした南貝塚が一部重なり8の字をいしているのが特徴。 13.4ヘクタールの広大な面積。周囲に居住跡や墓地、船着き場などが出土している。 幼稚園や小学生が遠足にきてお弁当を食べていた。 そこら中に2,300年前の貝殻

          素人の考古学ー千葉県の加曾利貝塚を見学

          素人の考古学ー千葉県松戸市中学校の敷地内にある円墳

          千葉県松戸市立河原塚中学校は、全国的にも珍しい学校で、敷地内に古墳(円墳)が存在しており、河原塚4号古墳として知られている。 大きさ: 直径約22メートル、高さ約3メートル。 この古墳は、5c中半に造られたもので、これまでに円墳5基が確認されている。特に、1号墳からは、鉄の剣や刀などの武器、豊富な副葬品、そして人骨が出土している。この1号墳は、松戸の南部を治めた人物の墓であったと考えられている。 生徒たちには当たり前の光景。 古墳は校章にデザインされている。 校歌の歌詞に

          素人の考古学ー千葉県松戸市中学校の敷地内にある円墳

          素人の考古学ー千葉県公津原古墳群巡り

          概要:公津原古墳群は、千葉県成田市を代表する古墳群で、手賀沼・印旛沼周辺に多くの古墳が分布している。この古墳群は、南から3つの支群に分けられている。 公津原古墳群は、総数120基を超える古墳で、築造開始年代は4世紀の前半から7世紀の後半まで長期間にわたって造られている。特に天王・船塚古墳群には、6世紀代と推定される大型古墳が所在している。しかし、7世紀に入ると大型古墳の造成が減少し、龍角寺古墳群と対照的である。 ●八代台古墳群 小高い丘の上の外小代公園にあり遠く印旛沼が望める

          素人の考古学ー千葉県公津原古墳群巡り

          素人の考古学ー千葉県市原市の上総国の遺跡めぐり

          1.上総国およびその中心となる市原市について 上総国の由来は6~7世紀のヤマト王権に遡り、房総半島の大部分を治める令制国であり、親王が国司を務める親王任国であった。 その中心は、現在の市原市中心部で、国分寺・国分尼寺の遺跡より、嘗て国府が存在したと推定されている。 同市は、人口27万人の中堅市で且つ愛知県豊田市に次いで製造品出荷額の多い工業都市で財政的にも豊かで、千葉県で一番面積の広い市でもあります。 約1000基以上の古墳跡があり、国分寺・国分尼寺跡を含め、多くの古代史遺跡

          素人の考古学ー千葉県市原市の上総国の遺跡めぐり

          素人の考古学ー千葉県市川市の下総国遺跡巡り

           下総の古代史的位置づけについて概略を説明します。  (図1)は、市川市教育委員会作成の「市川市遺跡と文化財マップ」です。 これを見ると貝塚をはじめ多くの遺跡の集積が見て取れます。この地がなぜこれほどの古代遺跡に溢れているのか、それはこの地が縄文時代(約6千年前)、東京湾の海面もしくは干潟に面していたことに由来します。 (図1)の左側から右低辺にかけて薄い青色に着色してあるところが、当時は海もしくは干潟でした。 縄文海進と呼ばれており、東京湾が現在より遙か北に浸食されており

          素人の考古学ー千葉県市川市の下総国遺跡巡り

          素人の考古学ー千葉県の龍角寺古墳群巡り

          千葉県の下総国にある龍角寺古墳群  大小116基の古墳が密集する。前方後円墳37基、円墳71基、方墳8基。そのほか郡衙跡、郡寺など。 ここは古墳時代の後期から律令制に移行する姿を見ることができます。 101号古墳。6C後半の築成 25ⅿの円墳、2重周溝、墳丘部に大量の埴輪、8体の人骨。 周溝に造り出しがあり、形象埴輪が並び被葬者の生前の姿を現している。 形象埴輪。鳥・馬・武人 岩屋古墳。7C前半。日本第2位の規模 辺80ⅿの方墳、周溝を持つ。横穴石室2基 3段築成

          素人の考古学ー千葉県の龍角寺古墳群巡り

          素人の考古学ー千葉県富津市内裏塚古墳群巡り

                 千葉県 内裏塚古墳 巡り                                        内裏塚古墳群は、千葉県富津市を中心とした古墳群で、この時代「須恵国」であった。 その歴代の国造の墓を4基見て来ました。 古代、総(千葉)には10のクニがり、武蔵は2、相模3に比べクニが乱立しており古墳の数も12,000基と全国一。 内裏塚古墳群は、5~7cに40基造られた。 ➀内裏塚古墳 小糸川流域を納めた首長墓  5c中、144m前方後円墳、竪穴式石室

          素人の考古学ー千葉県富津市内裏塚古墳群巡り