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六丁の娘 第二章【総集版】

久世くぜ綴喜つづき相楽さがらか。そこいらの山城惣国一揆が掟法おきてを定め、管領畠山氏の軍勢を追っ払ったのが二年前のことじゃ」
 為次郎は目の下に絵図を広げ、背中を丸めながら覗き込んでいる。きづ川、うぢ川、かつら川と書き添えられた三本の墨が、紙の下半分でややこしく絡み合っていた。
「鳥羽のわしらも一味同心して、洛中への斬り込みを任されとる。できるだけ多く奪い、壊し、燃やす。それがわしらに課せられた役割じゃ」
「ああ」
 進はおざなりにうなずいた。その様子が気にかかったのか、相手は腕を組んで片眉を持ち上げた。
「なあ、渡辺の。こいつは正義の戦いなんじゃ。民草から搾り取ることしか考えとらん武家、公家、商人ども。そいつらが悪どく溜め込んだ財物を、ちいとばかし返してもらうだけのことよ。気が咎めることは何もないぞ」
「わかっとるわい」
 進は顔を背けて吐き捨てた。相手の上目遣いは、どうやらまだ疑いを晴らしていない。垢が下瞼のふちに固まり、白く粉を吹いている。
「のう、これはお前のためを思うて言っとるんじゃ。心のどこかに迷いがあれば、こちらが死ぬことになる。甲冑を着込んだ武士はもちろん、近ごろはどうしてなかなか、町衆なんぞも手強い。だからこそ、わしらのようなあぶれ者でも、ちょっとした武芸の心得で飯が食える。憐れみは無用じゃ。生きるか死ぬか、根こそぎ奪うか奪われるか、二つに一つしかありゃあせん。これからの生き様は、そういうもんだと心得とけよ」
 進は重苦しくうなずいた。できるだけ軽々しく見せようと、心がけてはいたのだが。
「では早速じゃが、わしらの次の狙いはここじゃ」
 いびつな碁盤の目のような町筋の、真ん中よりやや上辺りに指先を突き立てた。上京かみぎょう正親町おおぎまち小路、東洞院ひがしのとういん大路の交わる界隈だった。一町四方の敷地は、大寺院や将軍家の御所と比べれば大きいわけではないが、どことなく超然とした佇まいを感じさせる。
「禁裏、か」
「まさか。いくらわしらでも、そこに手をかけたら生きておられんわさ」
 にゅっ、と上下の歯茎を剥き出してみせた。
「その西北隣の、六丁と呼ばれとる町筋よ。先の大乱で焼け出された公家、町人どもが寄り集まって、仲良く軒先を並べとる。新しい町場だけあって、ずいぶん金子きんすを積み上げとるっちゅう話じゃ。そいつをこちとらが、残らずいただいちまおうってわけよ」
「残らずいただいて、それからどうする」
「え?」
 虚を衝かれたように、小さな両目をしばたたいた。予想もしていない返事だったらしい。
「その山ほどの金子はどうなるんだ」
「おうおう、分け前の話かい。まだ言ってなかったかの、すっかり忘れとったわ。そうさな、半分は宇治の三十六人衆のとこへ上納して、残りは、わしらみんなで山分けかの」
「等分なのか」
「そら、働き次第じゃが」
 文字通りに閉口という顔つきで、薄い唇をへの字に結んでみせた。
「渡辺の。お前は確かに故郷の津では腕っぷしじゃったが、ここではまだ一戦も交えとらん下っ端じゃ。わしもお前らを迎えるために、ずいぶん骨を折ったんじゃぞ。そのわしの顔を潰すようなまねは、どうかしてくれるなよ」
「ああ、わかっとるよ」
 フン、と為次郎は鼻を鳴らした。この業突く張りめ、とでも言いたげな横目を残し、腰をかがめて絵図をくるくると巻き取ってしまった。

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