北風の賦 第四章【総集版】
荒木村重は、天正元(1573)年に上洛してきた織田信長を逢坂関で出迎え、
「摂津一国十三郡、それがしに切り取りをお命じあらば、一身を顧みずこれを鎮める所存」
と大見得を切ったとされる。
信長意地悪くニンマリして、腰の本差を抜き放つと、膝元の饅頭を三つばかり突き刺し、村重へ差し出してのたまうには、
「食ってみろ」
と。
「有り難く頂戴いたす」
鋭く睨み返しつつも、体ごと口を運んでパクパクとやった次第の荒木である。
信長もこの豪胆には大喜び、呵々大笑して、即座に摂津一国の仕置きを申し付けたというのだが、どうにも出来すぎたお話である。
後日、瓦林加介が荒木本人に尋ねてみたところ、困ったように鼻で笑われたという。
「あの時分は、ちょうど武田勢が西上を始めたころであった。織田の大殿様は、ずっと供奉していた足利公方にも切り捨てられ、畿内近国に一人の与党もいなくなっておった。お味方したのは、ただこの村重と長岡兵部のみよ。むろん我らにとっても大きな賭けであった。そのような茶番を演じているひまなど、互いにありはせぬよ」
「しかし、なぜ名だたる大名たちを引き連れた公方ではなく、木沢長政になるかもしれぬ織田を選んだのです」
加介はもう一歩踏み込んでみた。
「そのようなこと、いちいち訊くまでもなかろう」
髭モジャの口元に笑みを含んで、抱き牡丹の大紋の肘を、ゆったりと脇息へもたせかけた。
「我が心の中の小さな弥助が、そうせいと喚き散らしたからよ」
ともかくとして、荒木村重は織田家の重臣となった。
有言実行、と言うよりも、考える先に手が出る足が出るタチの者であるから、早速池田城から猪名川沿いに南下すると、寺内惣中に徳政を発して尼崎の湊を抑えた。
さらには摂津三守護の最後の一角である伊丹へ押し寄せ、見事にその居城を攻め落として有岡と名を改めると、大改築に手をつけて自らデンと腰を据えた。
返す刀で武庫山の有馬氏をも攻め滅ぼし、ついに摂津一円当地行を成し遂げてしまった。ただ荒木の才覚のみに賭けた信長の喜悦満面たるや、思い描くに余りある。
目出度く従五位下の位階と摂津守の官途まで得ると、旧主の池田殿を与力に付けられ、反対に荒木の名字を与えてやるという離れ業まで演じてのけた。
堂に入った風雲児っぷり、全くもって下剋上の申し子である。
それからも村重は、信長が頻々と下す陣触れに従い、南北と言われれば南北、東西と言われれば東西へ奔走、越前、河内、大坂、紀伊へ次々に参陣して武功を輝かした。
男一匹成り上がりの雛形、同じ時代に生を受けた者にとっては憧れの明星、まさしく摂津男子の面目を施す躍進ぶりである。
「北風の。お前にもうチイと、おれが荒木様から直々に伺った、織田家中の内輪について教えといたろう」
濁酒を酌み交わしつつ、加介は妙に上機嫌になっていた。
隠れ家の板敷きで、荘左衛門は肘をついて横になっている。兵庫津のあちこちへ散らせた、手下どもの復命を待っているのだ。こうなってみれば、自分も何やらいい身分である。
が、家にはもう半月も帰っていない。いい加減、於福のオッパイが恋しい気もするが、そんなことを言い出せる様子ではない。あいつ、六右衛門の色男気取りに、あっさり篭絡されとらんやろうな。
「これから戦おうっちゅう敵のことを何も知らんのは、褒められたことやないぞ。彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず。……」
「別に、こっちから頼んだ覚えはないぞ」
「空っぽの瓢箪みたいなドタマじゃから、よく中身が入るやろう。エエッ?」
黙って鼻くそをほじる荘左衛門を尻目に、加介のまるで見てきたような語りは続く。……
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