英雄のいない摂津 〜「歴史小説・北風の賦」あとがきにかえて+参考文献
どんな土地にも、郷土の英雄、というものがあるかと思います。
中部地方の三英傑を筆頭に、薩長には維新の三傑が、土佐には坂本龍馬が、甲信越にも武田信玄や上杉謙信がいます。
もう少し全国的な知名度を下げても、徳島には三好氏が、栃木には足利氏が、山口には大内氏が、岩手には奥州藤原氏が、江戸には太田道灌、和歌山には雑賀孫一、……などなど、名の知れた歴史上の有名人がいるものです。
(県民意識と違っていたらごめんなさい)
しかし、古代から長らく先進地帯だったはずの摂津国、今の大阪湾沿岸地域については、実はこれといった人物がいません。
第一に名が上がるのは、やはり太閤秀吉、ということになるのでしょうが、元々は名古屋の人ですし、成功の規模が大き過ぎて、「おらが町の英雄」という感じがしません。
(大和国も、やっぱり同じようなことが言えます)
兵庫県の阪神地域で活躍していた戦国武将は、実は当時の権力側に立つ細川氏だったりするのですが、あれも四国から来た人たちという感じがして、思い入れを持っている兵庫人は皆無に近いでしょう。
一番それに近いのは、河原林政頼、という人かもしれません。
作中でも言及していますが、「北風の賦」に登場する瓦林加介の、祖先に当たる人物です。
『瓦林政頼記』という、個人名を冠した軍記物まで残されています。
彼は、室町幕府最後の管領・細川高国に仕え、その部将として、「両細川の乱」を勝ち抜くための大きな力になりました。
居城として越水城を築き、現在でも西宮市には「瓦林」「越水」が町名として残っています。
ところがやがて、主君の高国から謀反の嫌疑をかけられ、自害を命じられてしまいました。
ちょうど最大のライバルだった阿波衆を退け、ようやく天下を平定したタイミングのことでした。
まさに「狡兎死して走狗煮らる」を地で行ってしまった形です。
細川高国はのちに、讒言を信じて重臣の香西元盛を誅殺し、その兄弟たちに丹波で反乱されて転落の道をたどるなど、権力者ゆえの猜疑心に取りつかれていた一面が伺えます。
彼も不思議な人物で、英邁なのか凡庸なのか、非常に評価がしにくいところがあります。
目の覚めるような大勝利を挙げたかと思えば、コロリと大敗してみせたり、海千山千の守護大名をたちまちまとめ上げたかと思えば、前述のように口車に乗って大切な家臣を殺してみたり、強いのか弱いのか、賢いのか愚かなのか、さっぱりわかりません。
ですが、室町時代の魅力というのは、そういう「キャラづけの難しさ」にあるような気もします。
初代将軍足利尊氏からして、ナポレオンみたいに勝ったり劉邦みたいに負けたり、戦上手なのか下手なのか、後世のゲーム的なパラメーターづけを全力で拒否する感じです。
そして言うまでもなく、それが足利尊氏の大きな魅力の一つになっています。
細川高国もそういう意味で、非常に室町時代的な深みのある人物だと感じられます。
最後は「大物崩れ」で敗死し、尼崎の寺内町で今も菩提を弔われており、英雄とは呼べないまでも、乱世の摂津を駆け抜けた傑物の一人であるのは間違いありません。
もとい。
そんな「英雄不在」の摂津国で、数年間にもせよ最大勢力を築き上げたのは、実は荒木村重なのかもしれません。
摂津地生えの人間ですし、彼こそが郷土の英雄、と称えられるのに最もふさわしいような気もします。
が、お世辞にも地元で人気が高いという感じはしません。
やはり、家臣や妻子を見殺しにして自分だけが生き残った、というイメージがあまりにも悪いためでしょうか。
ただもちろん、室町時代や戦国時代の摂津、大和などが、何もない空白地帯だったわけではありません。
世の中全体の「進歩的な」流れからは外れていても、確かにそこに生きた人々がおり、喜怒哀楽があり、その場所だけの時の積み重ねがある。
そういったことを、これからも少しずつでも表現していきたいと考えています。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございました。
参考文献
『北風遺事 残燈照古抄』安井荘右衛門
『現代語訳 信長公記』太田牛一 中川太古訳 新人物文庫
『シリーズ実像に迫る10 荒木村重』天野忠幸 戎光祥出版
『中世 瀬戸内海の旅人たち』山内譲 吉川弘文館
「中世瀬戸内水運からみた地域構造の歴史地理学的研究−文安2年『兵庫北関入船納帳』の分析−」藤田裕嗣 1998
「兵庫北関入船納帳にみる関通過手続と経営−室町中期の事例−」有馬香織 2008
「荒木村重の戦いと尼崎城」天野忠幸 2014
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