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他人の欲望を欲望したい、欲望の対象になりたい、世界崩壊交響曲、精神瓦解、死の乙女、股間の貝殻、赤貝マヨネーズ粘液問題、芸術は賭博だ、出目金爆殺、

五月十五日

つけ上がるなら、おとしめてやろう。
卑下するなら、ほめ上げてやろう。
わたしは、あくまでさからいつづける。
かれが、とうとう、さとるまで。
わけのわからぬ化け物みたいな自分のさまを。

パスカル『パンセ』(田辺保・訳 角川書店)

午前十時三一分。玄米緑茶、森永のブラックムーン。げんざい少しも身辺多忙ではない。身辺多忙であることほど自分に似つかわしくないことはないと思っている。かりにたまたま身辺多忙になってしまったとしても暇が有り余っているふうに装うだろう。ダンディズムとは痩せ我慢なのよ。だいたいいつも忙しそうにしているやつにろくなやつはいない。きのうは午後三時からコハ氏と図書館で対面。一時間ほど周辺を散歩したのち五時半まで閑談。「フォロワーを増やすこと」などについて話し合った。いま俺はnote以外のSNSはやってない。積極的に他人のアカウントをフォローしない上に有用なことは何も書いていないのでいまだにフォロワーは百人程度。営業的(売名的)に見境もなく凡庸アカウントをフォローしまくれる無神経さが私には欠けている。だってフォローしてもほとんど読まないもの。詰まんないし。文章も下手だし。バカの癖にバカじゃないふりをしてるし(それはお前だろ)。たぶんこんごも俺のこの「日記」は世に知られないままだろう。ふん、それでいいのさ。どうせおいらは日陰者。深更、レモン果汁入り水割りブラックニッカをいつもより多めに飲んだ。酔余の勢いでひさしぶりに深夜徘徊してしまった。ユーチューブに違法アップされているサザン名曲集をワイヤレスイヤホンで聴きながら。でもいま少しも二日酔いではない。酒に見放される日はまだ遠そう。ブコウスキーなんか読んでいるとますます酒が飲みたくなる。きのう付箋を付けた頁にこんなのがあった。

おれはベッドへ戻る。彼女はおれのパンツを引っぱり下ろし、キンタマを、それからペニスを掴む。「うわあ、この子ったら、可愛い!
おれは考える、いつになったらここを抜け出せるんだ?
「ねえ、一つ訊いてもいい?」
「ああ」
「彼にキスしてもいい?」
「いいよ」

チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』(都甲幸治・訳 河出書房新社)

いいね。昔これとほとんど同じやりとりをしたことがある。温泉なんかに行けば誰でも分かるだろうけどチンチンの形は各人各様。他人のチンチンなんか汚いもんだよ。臭いし。でも好きになった人のものは気持ち悪いなりに可愛く見える。不思議ね。「阿部定は私だ」。いま松浦理英子の『親指Pの修業時代』が読みたくなった。書き終えたら探すわ。あれ、まだ正午前じゃないか。こんな天気のいい日は外を三時間以上歩きたい。いったい俺はふだんから目を酷使しすぎなんだ。眼の酷使にマゾ的快感さえ覚えている。俺の慢性的抑鬱の主因はおそらく眼精疲労にある。天気のいい日は出来るだけ外を歩くこと。人間の目はそう何時間も文字を見続けるためにあるのではない。中島みゆきと一緒に俺も狼になりたい。引きこもりビビンバ楽団。デストロイヤー神風。突撃隊。ヤリチン協奏曲。

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