見出し画像

SNSをやっていながら承認欲求とは無縁みたいな顔をしている人間どもの間抜けさについてのボンバーマンX、ドリア式ペニス、存在論的零落趣味、いま汝、湘南、印旛沼、心の風邪、

五月十四日

目的も尊厳もない夢想が私の人生の精神的実体の大部分を構成しているのだが、今日、そんな夢想に耽りながら、私は想像してみた。ドウラドーレス街から、ヴァスケス社長から、モレイラ簿記主任から、社員全員から、配達係から、小使いから、猫から、永遠に解放されたときのことを。夢の中で私はこの解放を、まるで南の海が、まだ発見されていないすばらしい島々を私に贈ってくれたかのように感じた。そのときこそ、私に休息が訪れ、芸術の才能が開花し、私の存在全体の知的活動がなしとげられるのだ。

フェルナンド・ペソア『[新編]不穏の書、断章』(澤田直・訳 平凡社)

午前十一時五六分。東ハトのソルティ、玄米緑茶。天童市の商店街で川端康成と秋元康を足して二で割ったような男にスカウトされかける夢をみる。統一教会よりも自民党の解散命令をまずは請求すべきじゃないかという思いが日に日に募る。保身以外にほぼ関心のない小物たち。自民党の小物率はかつてないほどに高くなっている。きのう冷蔵庫の霜取りをした。最初から設置されているワンドアのやつ。料理研究家が使うには小さすぎる。日常の実体を成しているのは満たされることのない不満である。霜取りの際、新聞紙を沢山つかうと床がびしゃびしゃにならない。新聞もたまには役に立つ。霜取りに成功したあと散歩も兼ねて香林坊のうつのみやに行った。ここは岩波文庫を扱っている数少ない書店。ジュンク堂池袋本店みたいのが近所にあればな。中公文庫のセリーヌ『夜の果てへの旅』が欲しかったのだけど無かった。くだらない推理小説やタイトルの長さ以外に芸のないライトノベルなんかを並べるスペースがあるならセリーヌやジャン・ジュネくらい置けよ。しかたないので河出文庫のチャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』を935円で買った。たまには文庫本以外のものも買いたい。欲しくなる本はだいたい4000円以上する。オイラには金がない。天才というのはいつでも貧乏なものだ。どうせ生まれるなら凡人に生まれたかった。いやまじで。

チャールズ・ブコウスキー『パルプ』(柴田元幸・訳 筑摩書房)を読む。
周期的にブコウスキーかシオランが読みたくなる。どっちも度数の高すぎる安酒。シオランからすれば俺をあんな飲んだくれと一緒にするなと言いそうだけど、オイラからすればどっちもどっち。ブコウスキーの翻訳と言えばまずもって中川五郎なのだけど、柴田元幸のもよかった。アメリカ小説の律動を感得しているな、と思った。この「探偵小説」はブコウスキーの遺作らしい。これ以上にないほど不真面目テキトーな私立探偵ニック・ビレーンの一人称で語られる。ときどき挿入的に語られるブコウスキーの「人生観」がアフォリズムみたいでいい。付箋がついている頁の文章をいくつか引いてみる。

小学校のころ、女の先生が俺たちに、「みなさん、大人になったら何になりたいですか?」と訊いた。男はほとんどみんな、消防士と答えた。バカな奴らだ、焼け死ぬのがオチじゃないか。

だいたい人間、どれくらい金が要るんだ? そもそもなんの意味がある? あの世へ行くときはみんな一文なしだし、たいていは生きてるときからそうだ。じわじわ弱っていくゲーム。朝、靴をはけるだけでも勝利だ。

最高の時間は何もしていないときだって場合も多い。何もせずに、人生について考え、反芻する。たとえば、すべては無意味だと考えるとする。でもそう考えるなら、まったく無意味ではなくなる。なぜならこっちはすべての無意味さに気づいているわけで、無意味さに対するその自覚が、ほとんど意味のようなものを生み出すのだ。わかるかな? 要するに、楽観的な悲観主義。

結局はみんな退屈な話だ。ファック、ファック、ファック。人間、いろんなものに愛着を抱く。いったんヘソの緒を切られたら、とにかくいろんなものに身を寄せる。見えるもの、聞こえるもの、セックス、金、幻、母親、マスターベーション、殺人、月曜朝の二日酔い。

俺たちはさんざん待った。俺たちみんな。待つことが人を狂わせる大きな原因だってことくらい、医者は知らんのか? 人はみな待って一生を過ごす。生きるために待ち、死ぬために待つ。

俺は電話を切った。キッチンに行って、ウォッカをミネラルウォーターで割ってタバスコソースをちょっぴり足した。

こんどタバスコ買おうか。影響されやすい男。違いの分かる男。常に世界と格闘している男。昼飯。きょうの図書館入りは三時。俺の名はサンジ、海の一流料理人だ。マック鈴木。
備忘33000+1000+150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?