見出し画像

Fラン大学人絹派陰毛奇天烈コンプレックス症候群マジレスキャンペーン実施中華人民共和国もしくは難民サダムのへそ毛光線ディープスロート前衛主義的犬のクソ、

五月十六日

宮廷や町の中心部で話されたことをさも見てきたように話す者はたくさんいることだろう。歴史はそういったことについて何ひとつ書きもらさないだろう。夜の観察者である私は、未知の事実を収集するため遠くへ出かける。いま語ったことは、私がこの目で見、この耳で聞いたことであるが、これから私が描いてみせることも、自分で見聞きしたことである。

レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜』(植田祐次・編訳 岩波書店)

午前十一時四〇分。玄米緑茶、森永ブラックムーン。ひさしぶりに早朝覚醒があった。深酒のせいか。今のブラックニッカがなくなればとうぶん酒は飲まない(こういうこと書くの何度目?)。「これなしではどうにもならない」というものが多くある人間は惨めだ。それらがカネを払わないと入手できないものであるならなお惨めだ。三遊亭圓生の「一つ穴」を聞いた。ちかごろ寝る前は圓生と志ん朝を交互に聞いている。ときどき金馬と文楽も聞く。きのう午後二時半、文圃閣ガレージ店に行った。最初から最後まで誰もいなかった。そして誰もいなくなった以前の問題。買ったのは、立川昭二『近世 病草子』、赤江瀑『海峡』、G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』、アナトール・フランス『神々は渇く』、アルベルト・モラヴィア『黒マントの女』、バルザック『暗黒事件』(上下)、『対訳イェイツ詩集』、開高健『輝ける闇』、天野芳太郎『わが囚われの記』、『異彩天才伝』の11冊。締めて1430円。正午以降の降水確率(指定された時間の間に1㎜以上の雨が降る確率)が40%でやや不安だったので一応折り畳み傘を持って行った。降らなくてよかった。「ふつうのブログ」みたいなこと書くな。やはり長時間歩行は性に合っている。ぜんぶで五時間以上歩いた。散歩屋という仕事があれば俺はしょうがい食って行くのに困らないだろう。あなたのかわりに歩きます。1時間700円。最初の一時間は2割引き。雨の日は2割増。そういえばレンタルなんもしない人ってのがいたね。いまどうなってんだろ。俺はただ生きているだけで感謝されたい。ただ生きているだけで感謝されるようでなければ「立派な人間」とはいえない。柳の木はただそこにあるだけで肯定されている。冗談じゃない。そういえば昨夜、上野千鶴子が介護保険の危機を嘆いている動画をみた。「これから若者一人が一人の老人を担ぐ肩車型社会になる、大変だ」といった世代間対立を煽る言説への警戒心を隠していなかった。なかなか老人が死ねない時代になってしまったことだけは確かだ。成田氏の「集団自決」発言の「真意」なんかどうでもいい。「老人ヘイト」なんてみみっちいことはもうやめたほうがいい。俺はすべての生物がいますぐ消えてなくなることを願ってやまない。「イケメンとは何か」ということについて書きたいことがあったんだけどまた別の日に。

武田砂鉄『なんかいやな感じ』(講談社)を読む。
高見順の『いやな感じ』を借用したタイトル。高見順の小説なんてもうほとんど読まれていないだろう。この人は「日記」が有名なんだがそれもほとんど読まれていないだろう。五十年後は名前さえ忘れられている可能性がある。小説家なんてそういうもんだ。村上春樹だって例外じゃない。知名度の高い同時代人がいつまでも記憶されると思うなよ。島田清次郎って聞いてもほとんどの人は知らないだろ。大正時代のベストセラー作家だよ。ちなみにいまの石川県白山市出身。いまでいう自己愛性パーソナリティ障害の人で、精神科病院で若くして死んだ。彼の生涯をたどった評伝に杉森久英の『天才と狂人の間』があって、これは読み物としてはべらぼうに面白い。武田砂鉄に戻ろうか。私は彼の「芸風」はわりと好きだ。「世の中」に対する微妙な違和感はたぶん誰にでもあるのだろうけど、それをしつこくねちねちと言葉にし続けられる人はそう多くない。武田の書くものを読むたび、「ひねくれも芸になるんだ」ということに気づかされる。SNS(Twitter)なんかで会ったこともない人から吐かれる嫌味っぽい捨て台詞の「ウザさ」について分析した文章があった。読みながら、「そういうことが嫌ならさいしょからSNSなんかしなければいいのに」と口の出せばウザがられること必至の定型句が何度も頭に浮かんだが、よく考えれば、べつに武田はそういうことが嫌で嫌でしかたないと言っているわけではないのだ。何かについて不満などを述べる相手に「そんなに嫌なら~」と応答するのは愚劣であり滑稽だ。「物価が上がって大変」とこぼしている人に「なら生きるのやめればいいんじゃん」なんてふつうは言わない。なのに人はけっこうこれと似たようなことはやってしまう。俺もやったことがある。猛省。SNSは他人に物申したくてウズウズしている凡人たちで溢れ返っている。年少者に「それは違うよ」「考えが甘いね」なんて言いたくて仕方のない年長者たちで溢れ返っている。おそらくヤフー知恵袋でもっともウザがられている回答は、「上から目線の説教」みたいな分かりやすいものではなく、「シニカルでスマート(なつもりの)たしなめ」の類ではないか。後者にくらべれば前者にはまだ滑稽味というか可愛げがある。「クソリプ」(武田はこの言葉は使っていなかったが)については更なる分析が必要。
外は雨降り。新聞読んで、卵かけごはん食って、図書館に行こう。このごろ下痢気味。サダムの肋骨、菜っ葉、はっぱ、腐った豆腐。フレディ・マーキュリーの胸毛。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?