不登校支援という危うさ


進む不登校支援

最近、兵庫県や神戸市では不登校の児童を支援する動きが加速しているようである。このことについて少々私の思うところを書いてみようと思う。

■兵庫県の動き

■神戸市の動き

私はこの動きを大変に危惧している。なぜなら、兵庫に関していえば、この動きは過去何度も繰り返されてきた「いじめ隠蔽問題」から生じているように感じるからである。例えば、昨年起きた中学生児童のいじめ自殺問題。ご遺族の主張に沿えば、当初児童はいじめを受けていることを訴えたが学校が対応してくれなかったようである。つまり、学校の不手際で、児童は支援学級に通学せざるをえなくなったわけである。その後、支援学級の先生の対応がガラリと変わり厳しくなったことで、最悪の結末を招いてしまうことになった。

■神戸市中学生いじめ自殺問題

もちろん、さまざまな事情を抱え通常学級への適応がスムーズにいかない児童をサポートする仕組みを構築することは大変に重要であるし、これについては進めるべきだろう。しかし、これまでの流れを見ていると、そもそも教師という職業に適応できていない教師が少なからずいるように感じる。問題の順序から考えれば、まずこれが大問題であり、この問題にも積極的に取り組むべきである。例えば神戸市においては、次のような問題が過去に起きている。

■神戸市教師間いじめ問題

記事には、神戸市の事務系職員からも不適応教師の処遇に対して不満の声が上がっていると書かれてある。当然、不祥事を起こした教師を「飼い殺し」にするだけでは税金の無駄である。このような声が市職員から上がっていることは一縷の望みではあるのだろうが、その声を真摯に受け止め効果的な再教育のプロセスを構築できなければ、このような不適応教師が滞留するだけである。

学校を見限る勇気

私が何を言いたいのか、賢明な読者の方は既にお分かりだろうが、要するに、教師の指導力が不足しているせいで、本来なら指導が必要な生徒が見限られ、或いは守られずに、支援学級に送り込まれているのではないか?と危惧しているのである。教育委員会が支援を拡充したり、不登校児童を受けいれている学校やNPOなどを紹介して橋渡ししている、との昨今のメディアの報道はいかにも教育委員会が積極的に不登校児童をフォローをしているかのように印象付けるものであるが、これは学校の怠慢をある意味で隠蔽するような報道でもあると思う。そもそも指導が必要ない優秀な生徒を教えるだけの組織が公立学校なら、これはある意味で優生思想に近いもので、公立学校のあるべき姿ではないと思う。

しかし、そうは言っても、すでに公立学校は優生教育に舵を切っているわけで、このような状況下において、私たちはむしろ、支援学校(或いは学級)に行くことがある意味でナチズム的な優生思想まるだしの学校教育から逃れた普通の人間の行動であると自覚し、むしろ公立学校に行かないことの方が普通であると感じられるような社会をつくっていくべきと考える。学校で朝から晩まで詰め込み勉強を課され、放課後に厳しい部活動を強要されるような教育こそ異常で、これはまさにナチズムである。市民や県民の皆さんが早くこの学校教育の異常さに気が付くことを私は期待している。今度は、皆さんが学校を見限る側なのである。支援学校に進まれる児童の皆さん、自信をもって生きてほしいと思う。

以上


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