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やっちゃば一代記 実録(19)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 リヤカー
昭和初期の卸売市場で運搬に使われていた車両は主に大八車。大七車、大六車、小車というものもあったが、道路拡張とともに車幅のある荷車に替わっていった。仲買業者は大八車に品物を積んで納め先に配達するのだが、満載すると二百キロから三百キロの重さになったから、ちょっとした坂でも立ち往生した。築地近辺では築地川(現在は高速道路)にかかる千代橋の手前が屈強な男でも四苦八苦する急坂だった。そんな時登場するのが”たちんぼ”と称される手合いで、大八車が上り坂、下り坂に差し掛かると、どこからかすっと現れ、後ろから車を押したり、引いたりして小遣い銭を稼ぐのだった。
 大八車と前後して登場してきたのが自転車とリヤカーだが、運搬用の自転車は骨組みからタイヤにいたるまで、今の自転車より二回りは大きく、頑丈に作られていた。
 神田市場の鈴信という果物問屋の店員は、体が隠れるくらいに積み上げたイチゴを自転車の荷台に乗せて銀座通りをすいすい乗り回していた。当時のイチゴはせいぜい三梱が積載限度だttが、この店員は五梱から六梱は積んだというからほとんど神業である。また、築地市場ではある納入業者の奉公人がジャガイモ一俵、タマネギ一俵、ニンジン五把の合わせて百二十キロも積み上げ、坂道も苦にせず走っていた。これだけ重いと後ろに重心がかかってそっくりかえるところだが、彼は」体を前傾して巧みにバランスを取りながらペダルを踏むのだった。小柄な健二はこの運搬用時自転車をうまく乗りこなせなかった。かれらは思いリヤカーを引く健二を風のように追い越していくのだ。健二はその背中をまぶしげに見守るばかりだった。

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