見出し画像

やっちゃば一代記 思い出(5)

大木健二の洋菜ものがたり
 危うく焼却処分
【ズッキー二】(ウリ科)
初輸入のあと、またたく間に普及したのが【ズッキーニ】です。
品種を登録しておけば一財産残せたのではと、今となってはちょっと悔いが残ります。
昭和五十二年九月、米国産野菜の第一号として他の十二種といっしょに十五ケース(百五十キロ)を輸入しました。けれど、当時はこの【ズッキーニ】がどういう野菜なのか、ホントのところ分かってなかったのです。
そこで、税関の問い合わせに、とりあえず「きゅうりです」と答えておいたのですがさあ大変、それなら償却処分だというのでびっくり仰天。
輸入業者に質して氏素性(カボチャ)を税関に説明、やっとのことで難を逃れたのですが、当時の輸入代金は他の野菜を含めて百万円ぐらいでしたから
ずいぶんな冒険でした。(※当時キュウリは植物検疫上、外国からの輸入が禁止されていました。)
 ズッキーニを店頭に並べると、見知らぬ人がちょくちょく来ました。
どうも種屋(種苗会社)みたいで、私は「写真を撮ってはダメ!」と睨みを利かせていたのですが、いつの間にか種が国内に出回っていたのです。
そして、両端をくり貫いたセロリの箱に入った巨大な野菜が入荷したのが、
昭和五十四年。これが国産ズッキーニ(長野県松本平)の第一号です。
あまりにも大きくて最初は誰もズッキーニとは認めなかったので、展示用にしばらく店頭に飾っておきました。それが今は年間一千トン以上の生産量に上がるまで普及しているようです。たった四、五年で市民権を得たのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?