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【連載】かくれ念仏/No.14~鹿児島の真宗民語その6~

講頭・番役
講頭(こうがしら)は講の代表者。「本尊持ち」や「法頭人」とも言い、方言では「講頭殿(こずどん)」とも言う。一組に二、三人の講頭がいた。
番役(ばんやく)は各地の御座の世話役。
薩摩の講は数個ないし数十個の小寄講が集まって一つの講を組成している例が多い。小寄講は数戸ないし十数戸の講員で構成されている。

御順在
本願寺門主の消息が各地の講を順にまわって、披露して廻ること。講の本尊が小寄講を巡回することをもいう。

御開山様・信證院様貳尊像
親鸞と蓮如の姿を一軸に描いた絵像。本来は別個に一軸ずつ描いて安置していたが、とくに薩摩門徒には、この二尊連座像の小型のものを調製して下付されていた。連座像のほうがコンパクトで、禁制下の法座では持ち運びや隠匿に利があったためである。
親鸞を「御開山様」、蓮如を「信證院様」と呼ぶのは、日本古来の実名忌避もあるだろうが、これもやはり、門外漢に真宗の法具と悟らせないはたらきがあっただろう。


ほか、真宗に限った話ではないが、仏教色の感じられる鹿児島の言葉を少し書き留める。

まず憎らしい、可愛げがないという意味の方言「ぼんのがね」「ぼんのんなか」。これは「煩悩が無い」が由来という。

「どうぞお茶を一杯飲んでいってください」という意味の「茶いっぺ」は禅宗の「喫茶去(きっさこ)」に通じるものがあるだろう。

また、さみしいという意味の「とぜんね」。漢字だと「徒然」と書く。これは一般的な古語が鹿児島に残ったものであるが、無常を感じさせる言葉だ。

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