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アリスとシェパードとわたしの共通項についてのくだらない話

 有洲ケイとここ最近名乗っている。

 「ありすけい」と読むこの名前が、ほぼ本名だと言うと結構びっくりされる。ちょっとした仕掛けはあるけれど、嘘ではない。
 ケイはアルファベットの「K」であり、苗字の頭文字。
 ならば、有洲はギブンネーム、姓名の名が由来だ。
 簡単な話、「か行の苗字」+「ありす」。それが私の本名だ。
 
 

産まれた時から、「ありす」と呼ばれて今まで来ている。

 

 現代のキラキラネームの子らに混じれば、そこまで珍しい名前ではないだろう。
 平成か令和に産まれるアドバンテージは奇天烈な名前や個性が許容されることにもあるのだ。
 平成か令和に産声をあげたかった。

 変わった本名を持つものは、二つや三つエピソードトークが出来るものだ。苗字すら珍しい私はそりゃあもう、大量にネタがある。

 名前を聞いた人が「その子はアリスお祖母ちゃんって呼ばれるんだよ」と父に苦言を呈した話もあれば、転校した先の小学校でパンダの赤ん坊のように各学年から見物人がきた話もある。

 いまだにその気まずさに思わず笑ってしまうのは、家族全員で新居に引っ越して近所に挨拶をして回った時の話だ。とある豪邸を訪ねた。大きな声を出せば、我が家から届く距離にある家だった。家族総出で挨拶し、私が名乗ると豪邸の主人は目を泳がせた。庭で大型犬が吠えている。犬好きな我が家、自然と犬の名前を聞いた。
 主人は苦い顔をして言った。
「アリスっていうんです」

 こうして私がイタズラをすれば「ありすーっ!」と母の大声が響き、毛並みの良いジャーマンシェパードがオイタをすれば「アリスーっ!」と叱られる声が聞こえるご近所が出来上がった。

 

なんでこんな自分語りを始めたのか。


 ニュースを見る人なら分かる。至極簡単な話。フォークグループ「アリス」の谷村新司氏が亡くなった。隣家の巨大な犬は、飼い主が好きだったこのグループから名付けられていた。
 歌手のおじさん達を見るたびに、ジャーマンシェパードを思い出す人はそうそういない。

 そうして、古い記憶を手繰る内に「ありす」という名前を呪っていたことを思い出した。
 私は自分の名前を憎んでいた。嫌なんて生ぬるい感情ではなく、逃れようもない刺青を産まれながらにされた気分だった。

 そんなに大袈裟なこと? 何度もそう言われた。変わってるけど、可愛い名前じゃない。肯定的に捉える人が多いからだ。

 しかし、昭和の時代に日本で「ありす」と名付けられることがどういう意味合いを持つかを、多くの人は想像できない。
 「悪魔ちゃん」よりマシじゃないか、なんて言った人もいるけど、それは結局差し止められた。

 現代のキラキラネームだらけの世に慣れてしまった人に、分かりやすく伝えよう。
 

昭和に「ありす」と名付けられるのは、令和に「シンデレラ」と名付けられるに等しい。


 某D社のアニメーションに洗脳された日本人は「アリス」と聞けば、水色のワンピースを着た金髪少女を思い出す。作品を見たことなくても、そこら中にグッズやイメージが溢れている。
 それか我が家の隣人のようにフォークを歌う男性三人組を思い出す。

 歴史の偉人と同じ名前をつけるのと同じような状況に思えるかもしれない。
 けれど、それがフィクションのキャラクターであることによって、巨人の星から「飛雄馬」と名付けるような痛々しさが伴うのだ。

もちろん、私の両親はそんなつもりで名付けたわけではない。


 子供の将来を思って意味を込めて、名付けた。そのはずだ。
 名前を決めた母の談によると、
「ルイス=キャロルの『不思議の国のアリス』が好きだから、ありすにした。カタカナだと外国人のようだからひらがなにした」

 ダメだ。シェパードと同じだったわ。


名前を憎んで生きてきた。

 人生の半分以上は、許可なく下の名前で呼んでくる馴れ馴れしい輩に刺々しい態度をとり、友人にも苗字で呼ぶことを徹底させ、自分が「ありす」であることを忘れてようと藻掻く日々を過ごした。

 珍しい名の分かりやすい功罪に、目立ってしまうというものがある。本人が望まずとも、人の話のタネにされ、噂がコミュニティの中で広まりやすい。
 一人ずつ名前を呼ばれ、登壇するスタイルだった小6の卒業式で、私のフルネームが読み上げられた瞬間、保護者席が一斉にザワついたのを私は忘れない。
 ああ、あれが噂の、と言っているのが聞こえてきた。保護者席が随分と近い配置だった。
 私は目立ちたくなかった。自分の実力で何かを成し遂げて知られるならまだしも、ただ親から与えられた名前が珍しいからと悪目立ちするのが、苦痛で仕方なかった。

 随分と恨み溢れる文章だ。
 人生を通して感じていた憤りはなかなか解消されないらしい。

 察しの良い人はもうお分かりと思うが、私はもう本名を憎んではいない。
 じゃなければ、名前ほぼモロバレな「有洲ケイ」などと名乗ったりしない。

 二十年来の憎しみをどうやって手放したのか、それについて語るのは今日はやめておこう。手放したというより、諦めたのほうが等しいし、かといって悟りを開いたとは程遠いので、数行でまとめられる話ではない。
 ディズ〇ーへの根深い逆恨みだって、結構消えなくて苦労した。

 谷村新司氏の魂の平安を祈りながら、過去の憤りに思いを馳せた夜があった。
 それだけのくだらない話なのだ。


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