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大腸癌と診断されるまで④ ついに大腸がんと診断、全身に転移 ステージⅣでした

平成30年8月末、父は検査入院しました。

本人はどうして入院するのかわからないといった風ですが、家族としてはやっと病院に行き入院した、とほっとしました。

その反面、CTの結果で大腸以外にも「できもの」があることがわかり、きっと癌で体中に転移しているんだろうな…と、これからどうなるのかなんともいえない漠然とした不安が常につきまといました。

入院してからも、 外来で見ていただいた、私がものすごく尊敬している先生。そのまま父の主治医になってくださいました。
ものすごいスピードでテキパキと検査の計画を立ててくださり、タイムリーにわかりやすく説明してくださり、本当にありがたかったです。

造影剤を使ったCT、お腹の超音波検査など簡単な検査をし、入院から数日したころ、大腸カメラを使った検査をすることになりました。
大腸カメラを実施する日には本人の妻である私の母も呼ばれ、検査後に一度お話をしましょうをいうことになりました。

大腸カメラ検査の日は仕事で、検査は夕方から、仕事が終わってから職場の付属の保育園へ娘を迎えに行き、タクシーできた母と検査室前の待合室で合流しました。

検査後の先生からの説明で娘がむじゃきにはしゃいでいた覚えがあります。

結果は肛門から少し入ったところに10㎝程の腫瘍が腸に巻き付くようにあって、カメラがギリギリ通るか通らないくらい、非常に狭くなっていたということでした。
見せていただいた大腸カメラで撮った写真をみて、母と私は「あれはあかんと思ったよね…」と家で口をそろえて言ったことを覚えています。見るからにグロテスク、あぁ…こんなに癌が…、それは辛かったよね…、痛かったよね…

先生からは「大腸癌」で間違いなさそうということ、このまま癌が進行するといつか詰まってしまうこと。そうでなくても便が出なくてつらいので、腸を広げてあげた方がいいこと、それには手術か、腸を広げる金属を入れるか選択肢があるが、金属はいつか癌が進行してからみついてまた狭くしてしまう可能性があること…を丁寧に説明していただきました。

手術をするにしても、ぎりぎり人工肛門を造らなくていいかどうかというところなので、一度外科の先生に相談してみますということでした。

また、CTの画像で肺、肝臓、腹膜、腰の骨にも転移がありそうということで追加の検査で癌がどこに転移していそうかPET-CTを行うことになりました。

そして色々わかったところで後日、本人を含めて病状や今後の方針について説明していただくことになりました。

この時点で父にはまだはっきりと知らせていません。やっぱりできものがあったよ、きっと癌だからもう少し検査することになったよ、手術になるかもしれないよ…とだけ。
本人は「まだ検査するのか、いつになったら帰れるのか」と言ってしましたね…。まだまだまだ帰れなさそうな状況はとても言えませんでした。

食事の好き嫌いが非常に多く、ヘビースモーカー、身の回りの母にやってもらっていた父。外面はものすごくよくてかっこつけで家族にはまったくしないのにいらん気をつかう人。先生や看護師さんにいい人であろうとして、遠慮もしていただろうから、自由にできる家にすぐにでも帰りたかったと思います。

入院中は、癌で細くなった大腸を便が通りやすいように、ほとんど固形物の入っていない三部粥にしていただき、お腹や肛門の痛みもあるため、痛み止め(ロキソニン)の内服を始めていただきました。

そして病状説明まで、母と私は何度も話し合いました。

偏屈な父ですから、病状説明の時に手術になる、人工肛門を造ることになるかもしれない、という説明に納得できず拒否するのではないかと考えていました。
何もしなければ家に帰ってきても状況は変わらずまた逆戻り…。先生と少し会える時があってちらっと聞くと、手術になりそうということは何とか話せましたが…と、後のことは先生にお任せすることにしました。

9月に入って数日したある日、いよいよ先生にお話をしていただきました。

大腸癌であり、肺、肝臓、骨、腹膜にも転移がある。ステージⅣである。

転移があって手術で取りきることはできないので化学療法が中心の治療になる。

だけど、癌のせいで腸が狭くなり便が出にくい状態。今後の生活のことを考えると狭い腸を広げる必要ある。外科の先生と相談して手術はできるが人工肛門を造ることになるだろう。狭いところに金属をいれる方法もあるが、いずれ癌が進行してつぶれる可能性がある。

父は黙って聞いていました。時々質問もしていました。

そして先生は続けました。

「手術をすることになるなら、外科へ依頼していきます。化学療法も外科でやってもらいます。大腸癌は化学療法が効きやすい、だから私も外科に依頼をかけられるんですよ。娘さんは看護師さんですから、人工肛門の世話も必要になりますが、心強いでしょう」

正直人工肛門のお世話は非常に苦手意識がありましたが「任せてお父さん、私がやってあげる」と言っていました。私も頑張る、お父さんもがんばってほしい。

先生の化学療法は効果がある、人工肛門もなんとかなるという説明が良かったのか父は「やるしかないね…」とつぶやき、思っていたよりも全然素直にやると言ってくれました。私たちも先生の言葉に、長くは生きられないかもしれないけれど、人工肛門を造って、おいしいご飯を食べて、痛みがとれて、いつか故郷の石川県に連れていけるかなと希望を持ちました。

今でも担当してくださった先生に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にお忙しい先生なのに、どの患者さんにもそうなのですが、迅速に的確に対応してくださる先生。手術を見越して手術前の検査もほぼ終わらせてくれていました。病状説明の時、膝の上にいた娘が机をぐいぐい蹴って先生のほうに押されそうになってもニコニコとしていてくださったな。先生のおかげで家で泥仕合をしていたのが、次のステップに進めた。

あぁ、そういえば病状説明の時、2歳だった娘も察したのか、静かにいい子にしてたな…。

後日先生と少し話す機会があったとき、父は涙ぐんだように見えたよと話していました。

もともと自分の気持ちを多く語ろうとはしない人です。誰よりも長生きすると豪語していたのにいきなりステージⅣの告知。そうだよね、そうだよね…。でも、苦痛の原因がわかって、いい顔してたよね…。

外科の先生に紹介していただき、予定を決め、いよいよ外科に変わり手術へと臨むことになりました。きっと今よりはよくなる、家族で頑張っていこうと考えていたんです。

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