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アイスワインの記憶

小さい頃、父の仕事の都合で転校ばかりしていた。
小学校だけで4校、中学校は2校。
海外に住んでた時期もあったが、その時でも別れは辛く、日本に戻っても新しい生活は、人間関係が全てであった子供にはなかなかキツかった。
いつもどこか旅人のように、物事を俯瞰して見てしまうのは、もしかしたらこの時の経験があるのかもしれない。ホームの感覚が弱いタイプだと自覚してるし、スナフキンが小さい頃から好きだった。

転校する旨は大抵おそらく1、2ヶ月前から親に告げられる。最初はショックを受け涙し、余命宣告を受けたかのように、残りの学校生活を過ごすのだ。「転校が取りやめになるかも」と父の前で大泣きを試みたけど、当然何も変わらなかった。
中1の時の転校は多感な時期だったし、同じバスケ部の1個上の先輩と晴れて両思いになった矢先のことだった。記憶とは美化されるものだが、その時のシーンは今でも鮮明に覚えている。男バスと女バスは隣のコートで朝練をする。シャイで口数は少ないけど、誰よりも練習熱心で人気だった先輩のフリースロー姿を、横目でチラチラ見ながら練習できるこの時間が大好きだった。
今思えば、両思いだったのだから、転校する旨をすぐ伝えられてたはずなのに、なぜかできなかった。周りはほとんど知っているのに、先輩だけにはちゃんと話せないという状況。友達にお膳立てしてもらい、体育館の大きな扉のところで、ようやく話せた。「転校するの」「いつ?」「来月」「そっか」。切ない感情とは裏腹に、すごく気持ちのよい風が吹き込んだ。少女漫画みたい。先輩の顔は見れなかった。

生まれた時からずっとその場所で育ち、幼馴染のような存在がいる人々が羨ましくてしょうがなかった。別れがあるのなら、「いっせーの」でみんな違うところに旅立てばいい。「どうして私だけ一人背を向けないといけないの?」。たくさんの人が私のために涙してくれて、色紙やプレゼントもくれて嬉しかったけど、それでもすぐに私のいないこの世界で、どうせ楽しく毎日を過ごすんだ。こんなに別れが辛いのなら、消したいほど嫌な場所だったらよかったのに。色んなことに頭の整理が追いつかず、悲しみを通り越して、怒りの感情が頭を支配したこともあった。

そんな旅立ちばかりの子供時代だったが、年を重ね、見送る側もたくさん経験した。誰かの旅立ちに、涙を流さない私を「どうしてサキちゃんは泣かないの?」と周りに言われた事が何度かある。別れの耐性は確かに人より強いのかもしれない。だけど、そんな私だからこそ思うことがある。
旅立つ側は確かに辛い。だけど、その人だけがポッカリと抜けたその空間で、その人の不在を感じた時のキリキリと胸が痛む感覚は、なかなかに辛いものだと。

愛おしい人が自分の生活からすっぽりと抜けた時。まるで、自分だけがその人のことを覚えているようで、過去の美しい思い出が幻だったんじゃないかと思うことがある。別れの時に皆と悲しみを共有して泣けたらいいのだろうけど、その場にはまだみんないるじゃない。辛いのは、後でふと自分一人がその人の不在に気がついた時なのだ。

記憶と想像力


きっとそれが自分自身を苦しめ、同時に幸せも感じさせる。完璧な魂が、この相反する感情を経験するために愚かな人間は存在するのだと思う。

さて、アイスワインという甘口のワインがある。通常、ワイン用のブドウは秋に収穫されるが、ぐっと我慢してブドウをそのままにし、氷点下マイナス8度の極寒の状態で凍ったブドウを収穫、凍ったまま圧縮して発酵させる。発酵が進むと酵母に糖分を食べられて、アルコール度数は高くなるものだが、アイスワインや貴腐ワインはアルコール度数は6%程度と低い。つまり発酵を進めずにブドウの糖度が残った状態なので甘い。それは砂糖を添加したような不自然な甘さではなく、酸味もグッとカプセルに閉じ込めたような甘美なもの。ゴルゴンゾーラのような青カビ系チーズをつまみながら、はちみつ代わりにアイスワインを飲む時の背徳感は想像するだけで興奮する。

「ああー、おいしい」


嗜好品であるワインを楽しむのだから、それだけで十分だし、スノッブの余計な知識がかえって美味しさを半減することもある。だけど、ちょっとだけ想像力を働かせてみよう。周囲のワイン用ブドウがどんどん収穫されていくなか、これから天候が乱れ、ブドウが全滅する可能性を背負わなければいけない恐怖。「だったらアイスワインなんて作らなきゃいいんじゃない?」なんて言われたくもないから、その恐怖をそうそう他人にも愚痴れない。自分と自分のブドウをひたすら信じて、神に願う。堪えて堪えて、さあようやく収穫だ。一部はこの間の雨でやられてしまったから、随分と収穫できる量は減った。貴腐ワインやアイスワイン用のブドウは選果が難しいし、繊細なので機械ではなく手摘みだと聞いたことがある。極寒の中の収穫は想像するだけで体がガクガクと震える。仮に機械で収穫できても、その機械を動かす指はきっと悴んでいるだろう。

そんなことを、暖房がきいた暖かい部屋でアイスワインを飲みながら想像する。そして気が付く。目の前のワインができるまで様々な過程や想いがあるように、出会いや別れにも、私が気がついていないたくさんのことがあるのだろうと。
先輩は私だけがいなくなった朝練や、心地よい風が吹き込んだ体育館の扉で、胸がキリキリするような感覚があったかもしれない。休み時間にゲラゲラ笑って過ごした友達も私を思い出して、寂しく感じたかもしれない。無論、別れの直後だけの話ではあるだろうが、この感覚は新しい環境へと旅立った人より強く感じるものだと思う。

「どうせみんな私のことなんて忘れる」なんて拗ねてた私にもし会えるのなら、教えてあげよう。

「あなたが別れの時に感じた辛さは、周りにいたたくさんの人もちょっとずつもらってくれてたの。だから、あの時の感覚をぎゅっと閉じ込めたカプセルのように、記憶の中でキラキラしてるんだよ」

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