見出し画像

呪いを和らげる呪文を見つけた

たったひとつの本当の自分などは存在しない。ひとりの人間の中には、複数の分人(ぶんじん)が存在している。家庭での分人、職場での分人、学校での分人、親友といるときの分人・・・、あなたという人間はこれらの分人の集合体である。

これは、小説家である平野啓一郎氏が「分人思考」という本の中で述べた考え方である。

あなたはドラクエのパーティーだ。
勇者ではない。
勇者であり、賢者であり、魔法使いだ。

会社員ではない。
会社員であり、友人であり、子であり、親であり、後輩であり、大切な話し相手なのだ。

アナログ時計の目的は、正確に時を刻み、時刻を可視化することである。その目的を達成するためには、複数の部品が必要で、その部品は目的達成のための役割を果たすことになる。時計の心臓である水晶は周期的に振動し、その振動を歯車が回転運動をに変える。歯車の組み合わせにより回転の周期を変換し、長針、短針、秒針がそれぞれの周期で回転する。これが時計の構造である。

何かの目的でヒトが集まり組織になる。その組織は目的を果たすために構造をつくりだす。
組織を構成するヒトは、目的達成のための役割を果たすことになる。あなたの役割は歯車ね。
そう社会の歯車。
部品の立場から見た時、あなたは組織の構造の役割により分類される。あなたの周囲に境界線が引かれる。あなたは何者?あぁ、歯車ね。
そしてその役割があなたの名前になる。名が体を表す。「課長、お話があるのですが」
組織の構造に組み込まれ、分類され、役割を与えられる。これが自分が望むものでないとき、ヒトは「呪われた」というのであろう。

就職活動のことを思い出す。志望理由を持ち合わせていなかった。私がもっていたのは志望しない理由だけだった。「呪われなくないからです」

ひとりのヒトを複数の分人の集まりと考える。就職で呪われたとしても、それはあなたの中のひとりの分人が呪われているだけである。ドラクエのパーティーの1人が魔法にかかっているだけだ。まだ全員死んじゃいない。

「自立するとは、複数の依存先をもつことだ。」
どこかで聞いたことがある。複数の組織、コミュニティに所属すると、あなたの中の異なる分人が異なる役割を与えられる。そのうち何人かは呪われるかもしれないが、何人かは活躍の場を得て、経験値を獲得し成長していくかもしれない。

たとえ、呪われたとしても所詮ドラクエだ。ごっこ遊びだとおもったらいい。

うちの魔王、最近呪ってくるなー
仕方ないから、呪われてやるか。
呪われているふりしあげたら、魔王も喜びよるやろ。

ドラクエはロールプレイングゲームだ。役割を演じるといい。子どもと遊ぶときに怪人になってやられたフリをする。子どもはとても喜ぶ。それと同じじゃないか。組織の中の部品の役割を演じたらいい。


「ここは魔王のために呪われてやるか」


茶番に付き合ってあげて、迫真の演技をしているうちに、あなたは組織の役割を果たすのかもしれない。いい役者。

呪う方になりたい?
考えてみると魔王も大変そうでしょ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?