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読書について②

はじめに「食事」の話をしたいと思います。


みなさん、「食事」はいいことだと思いますか?


「食事はいいこと、というの変な言い方だな。食事は必要だけどね。」

「食事といっても何を食べるかで変わってくるよね。」

そんな声がきこえてきそうです。

では、「食事」は何のためにあるのでしょうか。

一番の理由は「食べることによって、栄養を得るため」ですね。

「食べる」という手段をつかって、栄養を得ているのです。


次に「読書」の話をしたいと思います。

みなさんは、「読書」はいいことだと思いますか?

「読書」というと、なんとなく「かしこい」イメージを持つ人も多いかもしれません。

とくに、たくさん本を読んでいる人がいると、「もしかして、とても賢い?」と思うかもしれません。

ここで、みなさんに聞いてみたいことがあります。


「読書」とは何ですか?


「それは、本を読むことだよ。」そのとおりですね。

では、本はなんのためにあるのでしょうか。

本は情報を伝えるためにあります。

情報を伝えるための手段のことを「メディア」といいます。

つまり、読書は「本というメディアから情報を得ること」ですね。

「読書」はいいことだ、というのは「情報を得ること」はいいこと、「本というメディア」はいいこと、この二つの要素に分けられそうです。

「情報を得ること」はいいことなのでしょうか?

それは中身によりますね。栄養素の高い情報であれば、良さそうです。

では「本というメディア」はいいことなのでしょうか?

これは好みが分かれるかもしれません。栄養素を得る方法はたくさんあります。パンでも米でも、サプリでも点滴でもいいし、自炊しても、レストランで食べてもいいんです。

情報を得る方法も、文字・映像・音声・におい・触り心地・を組み合わせたメディアがたくさんあります。テレビ・ラジオ・新聞・Youtube・Twitter・講演会など。そのなかの一つが本ですね。

ではたくさん「読書」をしているひとは「賢い」のでしょうか?

食事をしたとき、食べたものを消化酵素で分解し、それを体の一部に組み込みます。これが食べ物から栄養を得るということです。自分とは異なるものを、分解して自分と同化させるわけですね。

栄養として得ることができなかったものは、同化されずに異物のまま、体外へでていきます。

読書をして、情報を体内へ入れます。そのあと何が起こるでしょう?

情報を消化酵素で分解して体の一部に組み込むことができれば、それは知識を得ていることになります。

では、分解できない情報はどうなるのでしょう。異物のまま体外へ出ていきます。

「いかに多量にかき集めても、自分で考えぬいた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしていても、いくども考えぬいた知識であればその価値ははるかに高い。」

「我々が徹底的に考えることができるのは自分で知っていることだけである。知るためには学ぶべきである。だが知るといっても真の意味で知られるのは、ただすでに考えぬかれたことだけである。」

これは哲学者ショーペンハウエルの言葉です。

ここでいう、「考えぬく」というのが食べ物を「分解する」ことにあたります。

ただ、食事と読書の違いは、「消化酵素」にあります。

「考えぬく」ことで経験値を得たあなたの「消化酵素」は進化していくのです。

興味のある人は、ショーペンハウエルの「読書について」という本を読んでみてくださいね。

今日はこれでおわります。またあしたにゃー


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