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正木伸城さんへ「学会に対するスタンスを教えてください」

こんばんは。

直球勝負のタイトルですみません笑。

昨日、こんなツイートをみました。

正木さんのツイート①
ツイート①の反応に対するツイ

別にこのツイート自体は批判でもないし、正木さん自身も学会への「一つの見方」として論じているように見えます。

これを読んでどう感じるのかは自由で、そこに正解も間違いもないと思いますが、僕は(プチバズしていることも含め)少し不快に感じました。
だから、僕なりの意見を書こうと思った次第です。

敵対するつもりもないし、(人格や思想を)攻撃する意図はないですが、正木さんのこれまでの投稿記事を読んでいて感じたことも含め、いわゆる「批判」としてこのnoteを書いていることは、僕のスタンスとして最初に明示しておきます。

まず落ち着こう、深呼吸

気持ちを落ち着かせるために、正木伸城さんについてTwitterや記事などで公表している情報を少し整理したい。

・Twitterは実名アカウント(@nobushiromasaki)
・創価学会の元理事長のご子息
・元学会本部職員(その後、IT系企業に転職)
・現在も学会員(役職なし※)
 ※「37歳の時に解任された」とのTweet
・うつ病、パニック障害の闘病を経て、現在はライター
・今日時点で現代新書webで、学会に関する記事を5本投稿
・読書歴15,000冊以上

という具合だろうか。

僕のような匿名アカウントと違い、様々なリスクを負い、時に批判を浴びながらも実名での発信を続けていることは単純にすごいと思う。

僕も以前、正木さんに関するnoteを書いたり、リプ欄でやりとりをしたり、わざわざカルトに関するnoteの感想についてDMを頂いたこともあった。

理性的な方だと認識している。

どの言葉が、どう引っかかったのか

じゃあなんで、さっきのツイートに僕は引っかかったのか。

ツイートの中で正木さんが、"学会が嫌われる要因"としてあげたのは「折伏大行進の名残り」と「選挙の時だけ電話してくるあの感じ」。うーん、ここまでは分からないでもない。

でもツイートはこう締められている。

「そりゃそうだよね」

続いて投稿されたツイートがあるかと思ったけど、ない。

「そりゃそうだよね」

それが、現在も創価学会員である正木さんが、「(社会の)嫌われ者だと認識する創価学会」に対して述べた、唯一の感想だ。

言葉尻を捕らえて、と言われればそれまでかもしれないし、140字という制限の中で書いたからここで終わったのかもしれない。
でも、正木さんはライター・文章のプロだ。何か意見があるなら、書いただろう。書かなかったのは、正木さんの創価学会への意見が「それ以上でも以下でもない」からだろうか。

だから、もし「続きがあるなら書いて欲しい」という想いでいるんです。

僕は「折伏大行進」の時代を知らない。
それでも、当時の影響が一部の世代や社会の中に深く刻まれている事実には、学会活動をしている限り何度も直面している。

でもそれをなぜ、今を生きる僕たちが"手放し"で批判できるだろうか。

今ある学会は、僕たちが作ったものじゃない

折伏をすれば水をかけられ、選挙を頼めば罵詈雑言を浴びた時代がある。
「貧乏人と病人の集まり」と揶揄され、池田先生への虚偽やデマが電車の中吊り広告に溢れ、悪意のあるビラが街中にばら撒かれたこともあるそうだ。

それでも学会の信心を疑わなかった方々がいる。

ただただ懸命に、自他共の幸福と、地域の発展を信じ、池田先生の励ましの言葉を胸に学会を前進させ、発展させてきた草創の先輩たちの奮闘のおかげで今の学会は存在している。

そこには一部会員の「非常識な行動」や「行き過ぎた論調」も含まれるだろう。それらは決して看過も肯定もできるものじゃないかもしれない。

でも完全に理解不能なわけじゃない。僕たちは当時の背景や状況を知ることができる書籍や体験記事を、今でもたくさん目にすることができるから。
元職員であった正木さんは、そうした事実や歴史を多く見聞きできる機会があったんじゃないかと思う。

それらは事実だ。学会の歴史だ。
問題は、その過去を「どう受け止めるか」に、その人の"スタンス"が表れることだ。

それは遠い昔の話でも、今と無関係の過去の話なんかじゃない。いま僕たちが活動をする創価学会と、何の隔てもなく地続きで繋がっている。

だからこそ、行き過ぎた対話姿勢があれば変えるべきだと思うし、持続の難しい無理ある活動形態をどうしたら改善していけるのかを、みんな一生懸命考える。
そして「選挙の時だけ連絡する」ような関係にならないように、男子部の多くの先輩が口酸っぱく話をしてくれる。

ヤング世代(学会用語で20~30歳前後の男子部員を指す)の僕たちはなおさら、より現代の社会にフィットするような活動や言葉使いについて、日々の会合でよく議論するようになった(僕の地域のヤングのリーダーがそういう話題が好き、というのもあるけど笑)。

みんな問題意識、課題意識は持っているけど、「先輩たちのせいで」なんて思っていない。むしろそうした時代に生じた社会の批判を“財産”として真摯に受け止め、よりよい学会に向かうための糧にしているように思う。

それは、自分たちが学会の主体者だからだ。

そしてそうした議論こそ、正木さんが「大丈夫ですか?」と指摘する学会の「自浄作用」が存在している証拠だと、僕は認識している。

正木さんのスタンスを教えてください

だからこそ、先のツイートの内容には疑問を感じてしまった。リプ欄には学会員から攻撃的な意見も多数見受けられるし、決していいことじゃない。
反省すべきこともあるだろう。

けれど、今の「そりゃそうだ」で終わるのであれば、僕の目には正木さんのスタンスが、傍観者であり、単なる批評家とさほど変わらないよう映ります。
冷静な第三者を装い、豊かな言論を生むどころか、学会アンチの同調と、学会員の反感ばかりを生んでしまっているように見えています。

ここまではもちろん、僕の感想に過ぎない。

だからこそ、本人にそのスタンスを聞きたい。

このプチバズツイートに対する正木さんの感想が、現状「そりゃそうだよね」だけなのが、納得がいっていないだけです。

これらの一連のツイートは「本意」なのだろうか。
「正木さんは学会に否定的な立場をとっている」と多くの会員から認識されている事実を、どう受けて止めているのか、知りたいだけです。

特に知りたいのは2つ。

■このツイートの続き(建設的提案)はあるのでしょうか

■「折伏大行進」の指揮を執り、学会を大きく前進させた池田先生についてはどう思っているのでしょうか

「味方」か「敵」かみたいな、二項対立で理解しようなんて思いません。今後も意見は変わるだろうし、それはそれで構いません。

もしこのnoteを、ご本人が読む機会があればぜひ教えてください。

最後に少しだけ追記

学会に対してもそうでなくても、「建設的な意見」は自由に発信するべきだと思います。
学会がより良くなる提案はどんどんされるべきです。頭ごなしに否定されるのはもったいないし、聞いた人も「うーん」と一度は考えてみてほしいなと僕自身は考えています。

でも、そうした提案は「相手を納得させる」ものでなければいけないし、行動が伴っていなければ難しいこともなんとなく感じています。
間違っても反感を生んだり対立を煽るようでは本末転倒だとも思います。

そうして建設的な議論が進む中で、草創の先輩たちが必死の思いで作り上げた創価学会が、これから先も時代に適応し、世間の批判や悲観的な憶測を乗り越えて、より良いものになることを信じています。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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