見出し画像

池田先生

先生との出会いが、僕の人生を大きく変えた。

これほど強く一人の人間に惹かれ、これほど深く一人の人間を尊敬し、そして、これほど大きな感謝を抱く人物は、後にも先にも池田先生以外に現れないだろう。

人生の全てをかけてもいいとはじめて思えた、その会いがたき師匠の訃報を聞いて、悲しさも寂しさももちろんあったけど、不思議と不安はなかった。


池田先生は11月15日の夜半に、安祥として亡くなったそうだ。
逝去のあと、ご家族の意向もあり、創価学会の創立記念の諸行事がすべて滞りなく執り行われるようにと、18日午後になってからそのことが公表された。

悲しみは大きいけれど、大誓堂完成10周年の節目となった11月18日を、先生への感謝を胸に、「先生とともに」迎えられた人はきっと僕だけじゃないだろう。

先生とともに11月18日を迎え、先生への新たな誓いを胸に、創立100周年となる7年後の11月18日に向けて出発ができた。

なんてありがたい師匠だろう。
なんてあたたかい師匠だろう。
ご自身の逝去さえ、弟子が決意を深める出来事へと変えてくれた。


僕は、池田先生に直接お会いしたことはない。

多くの方からエピソードはたくさん伺うけれど、先生が握る手の温かさも、手のひらの柔らかさも、先生が到着されて会場の空気が変わるその瞬間も、場が凍りつくような厳しい叱責も、誰かを見つめる優しい眼差しも、僕は直接体感したことはない。

その、物理的な温かさを僕は知らない。

それでも僕は、活字を通して、映像を通して、エピソードを通して、池田先生と出会い、そして、自分の人生を変えるほど深く感銘を受けた。

自分の意志で、人生の師匠を決めた。

だからこれからも今までと変わることなく、いや、今まで以上に「先生と一緒に」自分の人生を生きていける。
自分らしく、自分の今いる場所で、挑戦を続けられる。

先生が命をかけて残されたものは、世界に広がる創価学会の組織だけじゃない。民衆に尽くす大衆政党も、文化芸術団体も、あらゆる機関も、きっとここには書ききれない。書き残された膨大な書籍も、全国に広がる会館も。でも、それだけじゃない。

なにより先生は、これからの時代を作る一人ひとりの青年を残してくださった。

これからも世界中で、先生を師と決めた、心ある青年が陸続と育ち続ける。
先生の書籍を通して、先生と出会い、歴史を学び、その精神と行動を学んだ青年はまた、新たな青年を育てていく。

先生が作り上げた「人材の流れ」は、「広宣流布の流れ」それ自体となって、とどまることはない。誰人たりとも止めることはできない。

その青年たち一人一人が力をつけ、繰り広げる群像の中に、池田先生の心も行動も永遠に生き続けていくのだと僕自身は信じている。

もちろん僕もまた、その青年の1人として自身の人生を、学会とともに、同志の皆さんとともに、先生とともに、歩んでいきたい。

「30歳まで生きられるかどうか」と医師から言われていた池田先生は、その誕生日を1ヶ月後に控え、師である戸田先生への誓いをこう書き記したそうだ。

「先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」

随筆『新・人間革命』 「日に日に新たに」

今、僕もまた、当時の先生と思いを同じくして、先生への報恩の人生を生き抜くことを、そしてそのために必要なあらゆる力をつけ、成長することを誓います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?